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園芸研究家 小山 征男(高崎市引間町)

【略歴】 横浜市出身。高崎市で山野草を扱う中央植物園を営み、代表取締役。全国山草業者組織「日本山草」役員。「NHK趣味の園芸」講師。著書は『山野草』など。

ホトトギスの異名

◎読み取りたい心遣い

 杜鵑(とけん)、蜀鳥(しょくちょう)、夏告鳥(なつつげどり)、早苗鳥(さなえどり)、田長鳥(たおさどり)、勧農鳥(かんのうちょう)、魂迎鳥(たまむかえどり)、夕影鳥(ゆうかげどり)、射干玉鳥(ぬばたまどり)…。漢字が並びましたが、すべてホトトギスの異名です。不如帰、子規、時鳥と書いてホトトギスと読むものも含め、これらは代表的な名前に過ぎません。

 「…忍び音もらす夏は来ぬ」と歌われ親しまれている渡り鳥で、その初音に、むせかえるような緑の季節の到来をあらためて知らされます。そのうちに、忍び音どころか、昼夜の別なく大きな声が各地で聞かれるようになります。

 日本にやってくるホトトギスは中国南部からとか。その中国の、今から三千年ほど前にあった伝説の「古蜀国(こしょくこく)」の話。古蜀国皇帝の望帝、字(あざな)は杜宇(とう)。国の根幹を成すは農業であると、熱心に国中を説いて回ったとか。その望帝杜宇は、死後鳥に生まれかわって、今でも初夏のころに、大声で農作業の開始を告げ回っているというのです。それゆえ、ホトトギスは杜鵑、杜魂(とこん)、帝魂(ていこん)、不如帰、蜀鳥…と杜宇にまつわる名でも呼ばれます。

 磨きぬかれた欅(けやき)の台にそれとなく置かれた紫色の布。その脇に生けられた一枝の藪椿(やぶつばき)。今でも鮮やかに蘇(よみがえ)る布と花の色。学生の時に訪れた、伊豆の旧家の玄関での光景です。その時は、布が紫根染めとも知らず、単に美しい二色の色あわせと思っていました。

 「射干玉鳥の声にせかされて、一気に尾根まで…」。社会人になってからいただいた、高校の恩師からの絵葉書(はがき)の一節です。受験勉強のおかげか、射干玉はヒオウギの黒い果実で“ぬばたま”と読み、射干玉鳥がホトトギスの異名であることも知ってはいました。

 しかし、当時は多くの異名の中から、射干玉鳥が選ばれた理由も考えず、単に射干玉鳥はホトトギスと読み替えていました。その後に真夜中にも鳴くことを知ったのです。そう、絵葉書のホトトギスは夜の鳥でした。すると突然、漆黒の闇の中、姿なき声にせかされ、わずかな明かりを頼りに、一歩一歩登る山好きの恩師の姿が脳裏に浮かんできたのです。

 また、あの紫根染めには椿の灰が不可欠です。ムラサキの根から抽出した染料だけでは発色せず、必ず媒染剤であるツバキの灰汁と交互に何度も何度も漬けて、数日後にようやく染め上がるということも知りました。紫色の染料に漬けるだけではなかったのです。

 紫色の布に藪椿を添え、多くの中から射干玉鳥という表記が選ばれたのには、意味があったのです。さりげない人の言動にも、さまざまな心遣いがあります。無知とは情けないもので、せっかくの人の思いやりも理解できません。今さら遅すぎますが、それでもサインを見落とさないように、幅広い知識を少しでも蓄えてゆきたいと思うのです。






(上毛新聞 2008年5月11日掲載)