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映画字幕翻訳家 伊原 奈津子(千葉県八街市)

【略歴】 東京都出身。館林女子高卒。米ジョージア州ショーターカレッジなどの大学を卒業後、帰国。ワーナー映画を経て、現職に。映画翻訳家協会会員。

人知の及ばないもの

◎畏れる心が己を律する

 洋画を翻訳していると、英語の文化が信仰、特にキリスト教に根差していることがよく分かる。もちろん米国にも無神論者はいるが、そんな彼らも英語を話す中で、無意識のうちにキリスト教の影響を受けている。

 殺人犯が暗がりの中で、自分が殺した男の死体につまずいて転んだとしよう。彼は何と叫ぶか? おそらく“Jesus Christ!”(「何てこった!」 直訳は「イエス・キリスト」)とでも言うだろうし、また日本語では「贈り物」を指す“gift”という単語は、神からの贈り物、つまり「天賦の才能」の意味でも使われる。このように、たとえ無神論者であっても英語で会話する限り、神の領域から逃れることはできない。

 御利益主義ではない、生活の一部である信仰は、ある種の人生哲学と言える。信仰に生きた一人の少女の物語、それが『エミリー・ローズ』だ。

 最初に翻訳の依頼が来た時は、原題が“TheExorcismOfEmilyRose”、直訳すると『エミリー・ローズの悪魔祓(ばらい)』ということもあり、女の子の首がグルリと一回転するホラーかと思った。だが実際はエミリー・ローズという少女の死を軸に、その死因は何で、死の責任は誰にあるかを解明しようとする裁判劇だった。

 エミリーはある夜の奇妙な体験をきっかけに、奇行が目立つようになる。医学的治療による改善はみられず、信心深いエミリーとその家族は、なじみの神父に相談する。

 神父は彼女の症状を悪魔の仕業と考え、悪魔祓いを行うが失敗、二度目の悪魔祓いを計画するも、エミリー本人の同意が得られず断念。その結果、エミリーは死に至ってしまう。そして神父は彼女を死に至らしめた罪で裁判にかけられる…というのが物語の展開なのだが、私が胸を打たれたのは、エミリーが二度目の悪魔祓いを拒否した理由だ。

 度重なる自虐行為と拒食による栄養不足のせいでボロボロになったエミリーは、ある夜、聖母マリアとの会話を通して、人間がすがれるのは神しかいないということを再度、人々に認識させるために、あえて悪魔に憑(つ)かれた自らの姿を世にさらす道を選ぶのだ。

 彼女が実際に悪魔に憑かれたかどうかは分からない。だが彼女が自分の生き方を、その信仰に基づいて選択したことは確かだ。信仰、すなわち人知の及ばないものの存在を認め、それを畏(おそ)れ敬う心は、己を律する助けとなり、生き方の指針となる。

 最近の、人の手本となるべき者たちによって引き起こされる不祥事の数々は、そんな心を忘れ、自分がすべてをコントロールしているという彼らの思い上がりの表れではないかと思うのだが、皆さんはどうお考えだろうか。






(上毛新聞 2008年4月8日掲載)