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◎本来の心取り戻す修行 退官を目の前に控え、これまでたいへんお世話になった地域社会に少しでも還元できればとの思いで、昨年三月に日本文化研究所を立ち上げた。知人、友人に理事になってもらい、家内が所長、私が理事長に就いた。 今月でまる一年になる。大きな名前を付したが、やっていることは寺子屋同様、ごく身近なものばかりである。石田梅岩にならい「席銭不要」の下、茶道、書道、古典研究などを展開している。近い将来、琴、華道、着物教室なども付け加えたいと思っている。 今日、限りない効率性の追求、競争による負の遺産がいたる所で顕在化し、重圧に耐えきれず、日本(社会)が音をたてて崩れようとしている。それゆえ、日本文化研究所の狙いも身近なところから心の安らぎを求め、「忠恕(ちゅうじょ)」(良心と思いやり、『論語』)ある社会の実現にある。文字通り、危機的状況にある中、ささやかではあるが健全で、平安な社会への願いを込めて展開している。 茶道は所長が受け持ち、書道は星野文二氏にお願いし、古典研究は所長、理事長が担当している。これら日本文化の領域は、効率と競争とは無縁である。効率と競争の追求では本物に到達できない。優劣は点数化できないし、点数化しても意味がない。なぜならば、文化(culture)とは「心の耕し」であるから、効率と競争の世界にはなじまない。岡倉天心ではないが、茶道は不完全さに特色がある。それゆえ、所作は心の平静さを取り戻すためのもの、人道による誠を実現するための道場と考えていい。書道、古典研究とて同じである。 そう言えば、わが日本文化研究所に集う若人は、わずか三、四カ月で立ち居振る舞い、言葉遣いなど見違えるほど良くなってくる。足で障子を開けんばかりのうら若き女性でも、半年もたつと、これが同じ女性かと戸惑う。俗に言えば、「野暮(やぼ)は揉(も)まれて粋になる」(九鬼周造『いきの構造』)からであろう。 現代人はとにかく忙しい。その上、経済主義(万事金の世の中)に覆われ、心やすまる暇がない。いつの間にか、心に埃(ほこ)りや塵(ちり)が積もりに積もって、曇ってしまい、「心焉(ここ)に在らざれば視(み)れども見えず」(『大学』)に陥っている。茶道、書道、古典研究は心に積もった垢(あか)や塵を一つ一つ取り除き、本来の心を取り戻す修行である。赤心(まごころ)、本心へ回帰するためのものと言い換えてもいい。 グローバルスタンダードの名の下、中央、地方を問わず、効率性の追求、競争原理が大手を振るい、放心状態に陥っている。喜びや痛みを共に分かちあえる社会の実現のためにも、日本文化研究所が少しでも貢献できればと考えている。老若男女、年齢を問わず門を叩(たた)いていただければ幸いである。 (上毛新聞 2008年3月30日掲載) |