視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
前藤岡市立東中学校長 除村 晃一(藤岡市下大塚)

【略歴】 群馬大卒。理科の教諭として教壇に立ったほか、県教委で管理主事を務めるなど主に人事職を担当。西部教育事務所長や藤岡市校長会長を歴任した。

子どもの教育

◎大人の生き方の問題

 明るさと素直さや活発さは、子どもにとって極めて重要な資質であり、それらは伸びる子の条件である。

 そして、十歳くらいまでの子育てのポイントは基礎的な体力と生活リズムの形成であると考える。また、幼少期は「手と目を離すな」、思春期は「手を離せ、目を離すな」といわれる。さらに、子育ては褒める・叱(しか)る・見守るであり、「個育て」であるが、親にとっては「己育て」であり、親の自己教育力そのものでもあると思う。「親業」としての家庭教育の重要性は言うまでもないことである。

 しかし、現代社会の中で問題に思うのは、自信喪失の傾向である。今や一億総自信喪失傾向かもしれない。子どもも親も、さらには教師までもである。特に、親が子育てにも、家庭教育にも自信が持てていないように感じる。

 少子化の中で親にとって子どもは宝物であり、これは至極当然のことである。経済的に余裕があれば、子どもに惜しみない投資ができる。親は子どもに対して「ギブ・アンド・ギブ」である。また、公立中学校への入学は考えていないという家庭もある。親の経済格差が子どもの教育格差を生んでいるのが現状である。

 一般的に、教育に熱心な親は多いが、一方で「自子中心主義」の親もいるし、アダルトチルドレンとか、モンスターペアレンツという言葉もある。これらが学校(教師)にも大きく影響している。そして、これは学校だけではなく、その他の場所でも同様であると聞く。言い得、ごね得、逃げ得の面もあり、特に給食費等の未納の問題は大きい。

 学校教育も家庭教育も所詮(しょせん)は大人の生き方の問題である。親は最も重要な「教師」であり、子どもは親の鏡である。そして、子育ては子どもにかける手間ひまであり、やり直しはできない。時計の針を逆戻しにはできず、今でなければできないものである。しかし、一般的に子どもの学年が上がるにつれて子どもへのかかわりが減少してくるものである。子どもが求める内面的なかかわりと親の意識の間に矛盾も見られる。子ども部屋は「治外法権」の場所ではない。一般的に家庭での生活習慣と子どもの学力とは密接に関係してくる。

 また、学校(教師)がいくら頑張っても、十人の親全員に合格点はもらえないかもしれない。それは宿命でもある。しかし、学校(教師)をぜひ信頼してほしい。信頼関係は努力して築き上げるものであり、親との関係は相互支援的でなければならない。

 「上流が濁れば、下流も濁る」のである。親も教師も今日の努力が自らの明日の成長・発展につながることを信じて、子どもの鏡になれるように精進していきたいものである。「日に新た」という生き方で、「一日一しん」(親、伸、深、新、信、進等、一日に一つのしん)の気概で…。自信を持って、幸福駅を目指しての果てしないこの長旅を…。






(上毛新聞 2008年3月12日掲載)