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◎米大統領選 米国は今、大統領選の候補指名争いに沸いている。特にバラク・オバマ、ヒラリー・クリントン両上院議員による民主党の予備選・党員集会からは目が離せない。私が米国に留学した一九七九年、その三十年後に黒人の大統領が誕生するかもしれないと、一体何人の人が予想しただろうか。 当時、留学前の私は、人種差別の問題に対して“肌の色が違うだけで、なぜ差別が生まれるの?”と疑問に思うと同時に、差別に対して怒りにも似た感情を持っていた。しかし実際に米国内に身を置いてみて、問題は肌の色だけではないということを痛感した。 黒人は、かつて奴隷であった者たちの子孫として、かつて奴隷主だった者たちの子孫の牛耳る社会に生まれ、育ってきたのだ。同じ有色人種でも、単一民族の中で何の劣等感も持つことなく育ち、留学生という結構な身分で米国に滞在している私とは訳が違う。彼らの多くは黒人だけのコミュニティーで生活し、車社会の米国においても自家用車を持たずにバスを利用していた。 私が最初に留学したアイオワ州の大学では、黒人の学生はすべて、スポーツ奨学金を得てシカゴなどの大都会から来た人ばかりで、学業の成績は芳しくなく、ほとんどが一年で大学をやめてしまった。また白人の女子学生が黒人の男子学生とデートすると、彼女たちは二度と白人の男子から誘われることがない実情も目の当たりにした。 黒人は肌の色が違うと同時に、幼いころから白人ばかりでなく自分たちの家族や同胞からも、偏見や差別の意識を植え付けられ、素直な心ではいられなくなってしまう。もちろん例外はある。しかし三十年前、米国のアフリカ系米国人たちにとって、負わされた歴史のくびきがとても重かったことは確かだ。 私には忘れられないテレビドラマのワンシーンがある。私が翻訳した作品ではないが、「大草原の小さな家」で、主人公のチャールズ・インガルスが、自分を卑下する黒人の少年に人間の平等を説くのだが、その少年に「じゃあ、おじちゃんは黒人で百歳まで生きるのと白人で五十歳で死ぬのと、どっちがいい?」とたずねられ、言葉を失うのだ。 リンカーンの奴隷解放宣言から約百五十年。人間としての平等が認められてもなお、差別の歴史は続いてきた。しかし今日、かのキング牧師の見た“夢”が、もしかしたら現実になるのではないかと思わせる出来事が起きている。たとえオバマ氏が大統領になっても、すぐさま差別のない社会が実現することはないだろう。しかし私は、夢が現実になる可能性を秘めた米国という国に、拍手を送らずにはいられない。国内外に多くの問題を抱える国ではあるが、米国には、いつの日か自由の鐘が鳴り渡る日が来ることを予感させる熱い力があふれている。 (上毛新聞 2008年3月2日掲載) |