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渋川市文化財調査委員 今井  登(渋川市北橘町)

【略歴】 群馬青年師範学校(現群馬大教育学部)卒。2001年まで県文化財保護指導員。渋川市文化財調査委員のほか、県埋蔵文化財調査事業団理事。

八ツ場ダム建設

◎流域文化継承の好機に

 「首都圏の都市用水の供給」と「流域地域の洪水調節」の大切な役割をもつ吾妻川の八ツ場ダム建設が、いろいろな課題を解決しながら進められ、「耶馬渓をしのぐ」と上毛かるたに詠まれる渓谷美もその様相に変化が見えてきた。

 この八ツ場ダム建設工事に関係する地域の、文化財発掘調査を国土交通省から県埋蔵文化財調査事業団が委託され、綿密な調査を継続中である。この調査に期待されるのは、特色ある吾妻川流域文化の検証によって、新しい地域文化の再構築に役立つことであろう。

 過日、現地研修会に参加し、現場の状況を見たり、詳細な説明を聞いた。

 埋葬制度の一つである「両基制」の歴史的背景、林地区の城跡の「水場の遺構」、川原畑地区の東宮遺跡の「近世屋敷水汲(みずくみ)跡」等、地域の特色ある考古・民俗資料の出土の報告を受ける。地域の人々が度重なる災害にめげず、遠祖の築いた文化を守り、地域文化の発展に努力した汗と涙の足跡を解明しようとする調査員のみなさんのご苦労と、地域の人々の積極的な協力に敬意を表したい。

 特に、川原畑の東宮遺跡の発掘は、日本災害史上最大規模といわれる一七八三(天明三)年の浅間山の噴火で、土台部分を残して流出した大規模家屋と泥流堆積(たいせき)層の検出。前回の横壁遺跡に次ぐ二例目の調査である。

 詳細は後ほど報告されることと思うが、前回の研修時に、浅間山噴火による埋没集落「鎌原遺跡」の発掘を担当された県文化財保護審議会長の松島栄治氏から「文献などには『泥流は熱を帯びていた』とあるが、考古学的にはその形跡が見当たらない」という話題提供があった。また、「泥流の流速が速過ぎる」「大規模な泥流に混ざっていた水の水源は何か」などの謎の解明の必要性も説かれた。

 『吾妻郡誌(口碑伝説)』には想像を絶する「前代未聞の大惨事」との記述がある。さらに著者不明の『浅間大変覚書』には「真に熱湯一度に水勢百丈余山より湧出、川筋村の七十五ケ村人馬不残流水し、比水早き事一時に百里余押し出し、其日の晩方長子(銚子)まで流出るといふ…」とある。

 また、杉田玄白が著書『後見草』の中で、「有情非情の無差別熱湯出す。百間、五十間の焼石にはねられ、微塵に砕け押流される。其勢たとへば百十の石火を一度に放つに似たる如し、其熱湯の深き事は何程か計難し」と記している資料なども提示いただいた。被災の壮絶さを物語る貴重な文献である。

 事業団のこの度の発掘調査によって、三つの謎が解かれることを期待している。

 古来、上信越の文化交流地点として重要な役割を担ってきた吾妻路には、多くの文化遺産が集積している。また、吾妻路に寄り添う吾妻川渓流は災害記録を残しているが、文人墨客の注目を浴びた名勝地でもある。

 文化財発掘調査により、先祖の努力の足跡に付加価値を与え、誇れる文化遺産として子孫に継承できる「ダム建設」であってほしい。






(上毛新聞 2008年2月16日掲載)