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◎世界に誇る日本国憲法 十二月八日は太平洋戦争開戦の日。忘れられない日だ。しかし、全国紙・地元紙を含めて、十紙のうちコラム欄で取り上げているものは三紙。コラムのほかには、戦争への反省や平和への社説も企画記事も載っていない。あとは、ある全国紙に投書が一編あるだけだった。 真珠湾を奇襲した加害者だから「取り上げ難(にく)い」というのは言い訳になる。戦争への反省は、平和の尊さを慫慂(しょうよう)することによっても広がりを見せる。マスコミは、もっと平和に視点を当てるべきではないか。 一方、敗戦の日の八月十五日前後は充実している。ある全国紙は戦争について、社説で扱い、さらに特集ページも設けている。かなり力を入れているのが分かる。軍国主義体制の下、新聞をはじめとするメディアも、大政翼賛会結成の流れの中で、積極的に戦争遂行の一翼を担っていたことへの反省が込められているようだ。その大政翼賛会的な考えが、最近、世上の話題になっているのが気になってならない。 昨年夏の参院選で民主党が大勝して、野党勢力が与党を上回ったことを“ねじれ現象”として、何か悪い現象が起きたかの印象を与えている。「法案の成立が少ないのもねじれのせいだ」という。選挙によって政党勢力の消長が生じるのは当然で、政党政治が健全な証左ではないか。マスコミも、政党政治を育てる角度から、別な言葉を探してほしいものだ。 選挙という、国民にとって最も大事な意思表示の結果を受け、一部の政党や国家権力が自分たちの都合で離合集散を図ろうとするのはもってのほかだ。大政翼賛会ばりと言われても仕方あるまい。 今、日本の政治経済を動かしている人たちは、戦争の本当の恐ろしさを知らない人が多く、心配でならない。それは憲法改正の動きに象徴される。 映画の好きな私は、十代のころ、戦勝国の戦略で多くの敗戦国民が死ぬ戦意高揚映画を見た。戦争に負けたら大変と直感。一九四三(昭和十八)年秋、陸軍少年飛行兵を志願した。父は「お前なんか受かるもんか」と寂しさを隠していた。当時の世情では、それ以上のことは言えなかったのだ。 福岡県の大刀洗陸軍飛行学校へ入校。地上、飛行機操縦、ともに六カ月の教育(学科、実技)を受けて助教になり、特幹一期と特操三期の基本操縦を教えた。四五(同二十)年二月、九州から朝鮮半島へ。そこでは、同期生と血判を押して特攻隊を志願した。後日、三月十日の東京大空襲で、在京の父と妹が死んだことを知った。火の海の中、「熱かったろう、苦しかったろう」としか言葉がない。戦争は非情だ。二度とこんな体験をしてはいけない。させてもならない。 国民の多くは世界に誇れる「日本国憲法」で十分に満足していると思う。憲法改正への道は歩まないでほしい。 (上毛新聞 2008年2月2日掲載) |