視点 オピニオン21
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文筆家 岡田 幸夫(桐生市広沢町)

【略歴】 東北大工学部を経て東京三洋電機に入社。2005年に退社、「晴耕執筆」生活に入る。『気節凌霜道(きせつりょうそうみち)はるかなり』が第7回歴史浪漫文学賞の最終選考に残る。

デジタル全盛時代

◎“主体は人間”忘れずに

 二○一一年よりテレビ放送もすべて「地上デジタル(地デジ)」となり、現行のアナログ方式の受像機は使えなくなる(専用チューナーを接続すれば可能)。これで茶の間の主役もデジタル化され、音声、画像、映像、電話、時刻など、手に触れる電気製品はほとんどすべてデジタル家電である。ところが私たちの目に映る情景は美しくしなやかで、ましてや心から湧(わ)きあがる感動などは奥深いものであり、0と1で成り立つデジタル信号にすべてを委ねてしまっていいのだろうかという不安が残る。

 よく考えてみると、IT(情報技術)に代表されるデジタル機器の特質は人間の感性と対極であるものも少なくない。間違いや偶然ということがない。情報の編集や加工が容易であり、通信に乗せれば瞬時に世界中に配信できる。記録も、劣化し失われることがない。限りなくブラックボックス化されて、機能障害を起こすときは修復がきかず丸ごと交換が必要だ。面白みやうるおいに乏しく、いやなことを忘却してくれるやさしさもない。

 確かにパソコンやデジカメ、携帯電話などは使ってみればこれほど便利なものはない。薄型大画面テレビで見る映像はこの上なく美しいし、双方向通信(インタラクティブ)さえ容易にする。しかもコストが安いなど、いいことずくめである。だがこの便利さやいいことずくめがクセ者で、時に犯罪に利用され、あるいは仮想世界に浸り、主役であるはずの人間がモノを考えないで依存症に陥ったりする危険性がある。過ぎたるはなお及ばざるが如(ごと)しという状況になりやすい。

 ところで織物史を調べていたら、十九世紀初頭、日本では江戸時代の寛政年間、イギリスでは産業革命が盛んなころ、フランスの織物産地リヨンで、ある偉大なものが発明されていた。紋織物のジャカード機である。この装置はそれまで職人が縦糸を上げ下げして紋様を表現していたのを、紋紙というパンチカードに替えたもので、まさにインテリジェントなデジタルマシンの先がけである。

 紋紙はフロッピーに替わったが、今日も紋織物の主役であり続けている。芸術的な織物図柄が、どのようなプロセスでデジタル信号化され、織り出されるのか。古い時代から織物職人たちは日々の仕事のなかで実践していたことになる。二百年も時代を先取りした器械が存在し、使われ続けてきたことにあらためて敬意の念を抱くのである。

 どうような文明の利器にも優れた点と負の面があるのは仕方がない。だが、道具はあくまでも道具である。主体は人間であることを忘れてはならないと思う。0か1、○か×、勝ちか負け。人間がそんな単純な思考に堕してはならない。人間らしいしなやかな情感を失わず、過度な偏重を戒め、しかもデジタルが持つ論理や数理の正確さに対応できる柔軟さも身につけ、ほどほどの距離感とバランスで賢く適応していきたいと思っている。






(上毛新聞 2008年1月25日掲載)