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利根生物談話会会長 小池  渥(沼田市西倉内町)

【略歴】 長野市出身。信州大卒。長野県蚕業試験場松本支場勤務を経て、1954年から県内公立高校で生物教諭を務め、91年に武尊高校長を最後に退職。

学びの思い出

◎筆記することで覚える

 旧制中学一年で私たちは物象(一類・二類)という教科を学んだ。珍しい科目だと思った。それまでの先輩は博物学、物理、化学という科目があったようだ。書店には欧文社(現・旺文社)発行の『物象の学び方』という参考書が売り出され、早速購入したものだ。内容は一類が生物分野、二類は物理・化学分野であったと思う。戦後は生物、物理、化学という科目になり、新聞紙様の教科書になり、上級進学用の問題集は先生のがり版刷りか、大方は先生の板書を筆記したように思う。

 四・五年生の時、生物班活動で三年生以下の下級生を集めて講義をしようということになり、毎週放課後、教師用の植物学、動物学などの専門書を借りて講義をしたことがある。自分のためにはなったが、何もわからず偉そうなことを平気でやった。顧問の先生も承認していたようだ。

 大学で先輩に誘われ、生物研究班に入会しているうちに、三年の時、班長に選ばれた。「何かテーマを持って研究活動をしよう」と会員に呼びかけ、自分も、授業の合間に研究活動をした。また、研究室の教官に交代で出席していただき、課外の特別講話をしてもらったらどうかということになり、人気のある教官にお願いした。植物生理学の一人の教授からVernalization(植物の春化処理)について、別の教授からDynamic Biochemistry(動態生化学)についてなど、当時としては画期的な講義であったと思う。

 しかし、学生が研究活動に集まらないので、主任教授に相談すると、「それは魅力がないからだろう。僕がお金をあげるから、パンでも買ってやったらどうか」と言われ、お金をくださった。早速、例会に参加した者に「パンをやる」と知らせたところ、生物教室に入り切れないほど会員が集まり、盛況になった。食糧事情の悪い時代だったから、餌に釣られて大勢参集し、しばらく活気を呈した。

 大学の講義では、語学(英語、ドイツ語)と経済学以外の専門科目は教科書がなく、全部、教官の講義を大学ノートにペン(付けペン)で筆記するだけ。しかも、講義の中で大部分の用語は英語かドイツ語ばかりである。物理、数学の教官はドイツへ留学したころに学んだドイツ語の教科書一冊を持参して講義をしていた。昆虫学の教授は研究室の書棚から原書を取り出してきて、ページをめくり、訳しながら講義を進めていた。微生物学の教授は声と口調が明瞭(めいりょう)で、板書も達筆でわかりやすかったが、遺伝学の博士は言葉が不明瞭で極めて筆記しにくかった。

 ノートやインクも質が悪く、文字が滲(にじ)んでしまった。戦後、流行し始めたボールペンは書くには滑らかであったが、インクが滲み、不便であった。ノートを保存してあるが、下手な文字でも筆記することで、覚えることができたように思う。

 このようにして受けた当時の講義を思い起こし、ここに記したのは、複写などがいとも簡単な今の学びの場は便利だが、それでは学問は身に付かないだろうと思うからだ。






(上毛新聞 2008年1月16日掲載)