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◎地域再生の礎石に 私の住んでいる安中市松井田町横川は、古代七○三(大宝三)年より都と東国を結ぶ重要な街道である東山道が通り、一六二三(元和九)年には江戸の玄関口として箱根関所と並ぶ日本三大関所の一つである碓氷関所が設置されて、寒村であった当時の横川村が中山道の交通の要衝として繁栄しました。 一八六九(明治二)年、関所廃関により一時寂れましたが、八五(同十八)年、高崎―横川間に鉄道が開通。九三(同二十六)年、信越本線が全線開通されると、アプト式鉄道の街として各商店や劇場、銭湯、旅籠(はたご)等が軒を連ね、大変活気のある街になりました。 しかし、昭和六十年代より国鉄合理化による鉄道各機関の閉鎖統合、職員の転出等で次第に影が薄くなり、一九九七(平成九)年、長野新幹線開通と同時に碓氷線(信越本線横川―軽井沢駅間の通称)が廃止され、街は急激に空洞化しました。 「うすいの歴史を残す会」は碓氷線廃止の四年前、九三(同五)年に廃線による地域の崩壊を予測し、地元有志を中心に設立しました。第一次の事業として、沈滞ムードにある町民が歴史ある郷土への誇りと愛着を取り戻し、いつの日か郷土が再生するための礎石となることを願い、古代より現代における郷土の歴史を二百ページ余りに編纂(へんさん)しました。『関所のまち横川』がそれで、全世帯に無料で配布しました。 その後、今日まで、郷土の歴史を発掘したり、旧東山道沿いに「山吹の郷(さと)」を開設したりしました。県文化の芽支援事業として、平安時代に国境で国司を迎え入れた行事「境迎(さかいむか)え」や、地元高校生による「防人(さきもり)」「鎮兵隊」の行軍の再現、江戸時代の過酷な取り締まりや掟(おきて)により碓氷関所磔(はりつけ)河原で処刑になった犠牲者の供養祭なども毎年実施しています。 私は県内外に出かけた際、いつも心を痛めていることがあります。それは数年前には活気に溢(あふ)れていた街が、今は人通りもなく、シャッター通りなどと化し、手入れの行き届いていた山や畑や山林も荒廃した痛々しい姿を目にすることです。もちろん幾多の要因があるとは思いますが、特に人口の減少、若年層の流出、在住者の高齢化等の波が現実に各地を襲っているのです。 群馬県においても平成の大合併により、地域の名称が多数消滅しています。その名称とともに、次第にその地域の文化や歴史も忘れ去られるのではないかと危惧(きぐ)されます。しかし、ただ手をこまねいて行政に頼るだけでは、この波は消滅しません。 群馬県には、万葉の時代からの素晴らしい歴史と文化が埋もれています。地域住民が協力してそれらを発掘し、愛郷心とともに次世代に継承することが、地域の再生と発展につながる道ではないかと思います。 私の住んでいる町は、碓氷郡松井田町という一郡一町として長い間親しまれてきましたが、今回、安中市との合併によって、万葉にも幾多詠まれた「碓氷」の名称が消滅しました。会員一同、これからも伝統ある歴史遺産の活用と発掘に精進し、碓氷の名が一層登場するようにと決意を新たにしています。 (上毛新聞 2008年1月7日掲載) |