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◎安心できるよりどころ 「居候三杯目にはそっと出し」 高校時代の下宿生活でのこと。他人の飯を食うことで気づかされることは意外に多いものです。舌に染みついている家庭の味。気兼ねなく注文できることのありがたさ。わが家に抱く安心感。肩身が狭いのが居候とは、いつの時代も変わらないものなのかもしれません。 時がたってまた、このごろ思います。いい年をして実家にいると、たとえワガヤでも肩身は狭くなるのですね。 高校時代から家を出て、実家のある伊勢崎に戻ってきたのが八年前。その八年だけをとってみても、この町がどれだけ様変わりしたのかがよくわかります。容赦なく変わっていく町に住んでいると、なんと言いますか、こう、心までせわしなくなるのでして。 そんな時は、子供のころの思い出に逃げ込んでみます。同世代は子育て真っただ中が多いですから、余計に子供のころの話に花が咲くのです。何をして遊んだとか、風景の記憶だとか。当時の遊びは大体が屋外。ある意味で町全体が遊び場でした。町はみんなで共有するものだという了解がどこかにあったのかもしれません。 記憶を共有できるというのにはいいところがあります。それが自分のよりどころとなるのですね。アイデンティティーと言ったら大げさでしょうか。 同じように町にもそこには記憶があって、それがその町のよりどころとなり、住む人の安心感となるのではないかと…。新しいものによりどころを求めるのもほどほどにしないと、結局、どこにも安心感のない町になってしまう気がします。 このごろよく聞く“地産地消”という言葉。食べるということにしましても、身近なものにその素材を求めることが、その土地で暮らす意味になるといいますか、ひとつの安心感となるのではないでしょうか。 そういう意味で郷土の料理は大切なんですよね。“ここじゃないどこかのもの”を求めるのは、“オラが土地の料理”を皮膚感覚で覚えた後で十分です。 それにしましても、世の中が分散している時代です。共有することばかりがいいとは思いませんが、孤独だからヤケになっているのかと思いたくなる出来事は後を絶ちません。 これがまた、自分にとってさしせまった問題なのかどうかがわかりにくいというところが、たちが悪い。 「おい大変だ! どうしよう」 「えっ? 何が?」 「何がって、ほら」 「ちょっと忙しいから後にしてくれるかい」 今年もあとわずか。来年はどんな都市になりますか。もとい、年になりますか。いい年にしたいですね。 (上毛新聞 2007年12月23日掲載) |