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◎人の育成に力を注ぐ 渋川市に合併する前の旧北橘(きたたちばな)村は私の生地であり、一八八九(明治二十二)年に誕生した。誕生後、村民は共同して「橘の香るゆかしい村づくり」を進めてきたといわれている。特に、教育文化の向上、産業経済の進展に力を入れたことが高く評価されている。 「村づくりは、人づくり」の観点から、学校、社会、家庭の三位一体の教育を重視し、挙村体制で地域の教育力を高め、新しい村づくりを推進してきたと伝えられている。 一九三四(昭和九)年、「農村経済自立更生運動」の成果は全国一の栄誉に輝いた。当時の記録は、地区の農事実行組合に引き継がれている。また、勅使御差遣(ごさけん)記念碑、表彰記念品の柱時計、写真等が往時を偲(しの)ばせている。 さらに、小学校には児童の作文が大切に保存されている。その作文の多くに、「この運動は『村のためになる人間』をつくるために進めるのだから協力する」という言葉が出てくる。研究論文を書くため訪れた筑波大大学院生は、「漢字使用・言葉遣いも、田舎の子どもとは思えないほど立派で驚いた」と同論文に記している。 民俗学者として知られた故・今井善一郎氏(一九○九―七六年)は、三三(同八)年に橘陰(きたたちばなむら)郷土かるたを作成し、小学校へ寄贈している。「村をよくするには、村をよく知ることだ」と強調され、さらに解説書として「橘陰郷土読本(きたたちばなむらものがたり)」を著作された。戦後、村の「広報たちばな」や、教育委員会で復刻した郷土の歴史・文化を知る貴重な資料で紹介され、「過去に学び、現在をみつめ、未来を志向する」郷土学の原点に位置づけられている。 軍律きびしい戦時、貧困と混乱の戦後を経て、平和で豊かなくらしのできる新しい時代を迎えた。新憲法の下で日本の再興は着実に進められてきた。新しい村のビジョンを求めて共に悩み、前進の方途を見いだし、自分たちのものにしてきた。真の発展は、地域の生活環境の豊かさが基盤になるといわれる。 七五(同五十)年、「村づくりは、人づくり」を継承し、「北橘村よい子を育てる会」を発足させ、学社連携による人づくり教育の実践化を図った。この活動は、地域の教育力向上に大きな役割を果たした。全国に発信され、高い評価も得た。 九○(平成二)年、よい子はよい親、よい地域によって育つという世論の下で、「北橘村生涯学習をすすめる会」に発展した。生涯学習推進委員を各地域から選出していただき、四部会(学校、家庭・地域、産業・文化、健康・スポーツ)を中核にして、先祖の努力の足跡である文化財を探り、先人の偉業を子孫に伝える活動や、地域の連帯感の高揚、環境美化・あいさつ運動等の活動を積極的に進めている。 さらに、自主グループの土曜会、竹親会、竹の子会、ボランティアガイドの会等も活動している。「一郷一学」運動が求める、これからの社会をどうするかという観点に立った活動が、地域づくりと連動していくことを期待する。 (上毛新聞 2007年12月17日掲載) |