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県文化財研究会会長 桑原  稔(前橋市天川原町)

【略歴】 工学院大建築学科卒。同大専攻科修了。前橋工高教諭を経て国立豊田高専教授。1993年から現職。中国魯東大客員教授。日中伝統文化比較研究論の講義のため時々訪中。

古民家とともに生きる

◎現代に生かしたい知恵

 私は、子供のころから古い神社や寺を見るのが好きだった。神社や寺の建物を見ると、たくさんの彫刻があり、その中に人物ばかりでなく、竜、獅子、鶴、亀など多くの動物と植物がデザインされていて、不思議に思ったものだった。これがきっかけで、古い建物に興味を持つようになった。大学時代の同級生のほとんどは、新しい建築を対象にし、社会に出たら新しい建築を造るという情熱に燃えていた。そのような中で私は、研究対象に古民家を選んだ。

 当時、同級生や周囲の人々に異端視され、「古いとはいえ現に人が住んでいる家が研究対象になるのかね」と、よく聞かれたものだった。前橋工高で生徒に教える傍ら、暇さえあれば古民家の調査研究に情熱を注いでいた。

 ありがたいことに、風潮が徐々に変化し、一九六八(昭和四十三)年には、当時の文部省文化財保護委員会(現文化庁)が、全国で民家緊急調査を実施した。文部省から委託を受けた県教委から調査委員を委嘱され、古民家を求めて県内全域をくまなく歩いた。その結果、群馬には、古き良き民家がたくさんあることを実感した。

 この時の調査を基に、富岡市の茂木家、上野村の黒沢家、旧宮城村の阿久沢家、中之条町の富沢家、川場村の戸部家など五棟の古民家が、七〇(同四十五)年に国の重要文化財に指定された。また、この時の調査が基になって九二(平成四)年には桐生市の彦部家も同じく指定された。

 古民家は、縄文時代の竪穴住居以来、数千年もの長い年月をかけ、技術的経験を重ねてきた血と汗の結晶といえる。それは、金属の釘(くぎ)やカスガイを用いず、木と木をつなぐのに木をもって行う極めて自然な工法である。

 建造以来千三百年以上もの星霜を経て、今なお往時の姿を立派に現在に伝えている法隆寺の堂塔建築の秘訣(ひけつ)は、やはり釘や金具を一切使わずに組み立てているところにあることを知ってほしい。

 よく考えてみると、木に金属を接つぐ工法ほど、不自然な方法はない。接いだ当初は頑丈に見えても、湿気の多い所ではやがて錆(さ)びてぼろぼろになり、地震などの大きな力に耐えられなくなるのは、至極当然のことである。

 八月初旬、米国ミネソタ州のミネアポリスにおいて、高速道路に架かる巨大な橋が崩落した事件では、鉄製骨組みを支える重要な部分が腐食したことによるものと考えられている。その大きな原因は長年積み上げられた野鳥の糞(ふん)による錆(さ)びであると、一部の新聞で報道していた。

 昭和四十年代以後の新築民家は、屋根裏に入ってみると、釘や金具が結露現象で錆びている。こうした状態を見れば、大目に見ても五十年以上の歳月には耐えられない。錆びて釘の頭がなくなれば、地震の際には組み立て部材が簡単に崩壊することになるのである。

 古民家を冷静に見てゆけば、現代建築に対する疑問がたくさん詰まっている。先人が、数千年の歳月を積み重ねて建造してきた古民家の有する知恵を、これから新築住宅に少しでも多く取り入れてほしいと願っているこのごろである。






(上毛新聞 2007年12月3日掲載)