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◎一期一会の肉声が魅力 文章を声に出してよむ「音読」の魅力にとりつかれ、その楽しさに無上の喜びを感じるようになって、かれこれ三十年たつ。 ことの始まりは、ひょんなことから県庁勤めをしながら、日曜ごとに自宅の一室を児童図書室にしたことである。なぜ児童図書室を開くことになったか、それはまた一編の物語になるから、別の機会に譲るとして、図書室にはたくさんのこどもが集まった。こどもたちと仲良くなると、ちいさいこどもが、おじさん、これよんでと、絵本を差し出すようになった。はじめは、ぶっつけ本番でよんでいたが、当然のことにうまくよめない。 その子にとって、はじめて出合った本かもしれないのに、そんなよみかたでいいのだろうかと反省して、それからは初見の本は預かりにして、これは来週よんであげるねと断り、あらかじめ下よみをした絵本をよむことにした。 ふしぎなことに、こうして絵本などを音読していると、きいている方も楽しいのだろうが、よんでる本人が楽しくてたまらない。下よみをしっかりして、私もお気に入りの本だと、さらに楽しい。 そうなると、音読というものをさらに深く知りたくなって、宇野重吉や山本安英の民話の朗読レコードを手に入れて、繰り返しきいたり、松岡享子の本を読んだりするようになった。 自宅に児童図書室を開いたのは、一九六九年だが、八五年ごろから、県立図書館のよみきかせボランティア養成研修の講師を頼まれて、県内あちこちで講座を持った。このよみきかせということばは新しいもので、六五年ごろから、東京をはじめ各地に、こどものための文庫ができ、そこで音読やストーリーテリング(お話)が行われるようになり、その活動を「よみきかせ」と呼ぶようになったのである。 県内にも、たくさんのよみきかせグループがあり、二○○○年には「群馬県読みきかせグループ連絡協議会」が誕生して、私は顧問ということになった。 よみきかせの特色は、あくまでも肉声で語りかける点にある。朗読だとテープやCDでも成り立つが、よみきかせは一期一会の肉声によるパフォーマンスである。 私の手元には、古いものでは徳川夢声「宮本武蔵」、幸田弘子「たけくらべ」などのCDがあり、夏目漱石の作品だけでも橋爪功「三四郎」、加藤剛「こころ」、林望「夢十夜」、久米明「門」がある。私の古いテープを最近CD七枚にしてくれた女性がいるが、木下順二「わらしべ長者」で、CDの方がはるかに便利だ。 私のCDは別にして、これらのCDをきくと、いろいろ勉強になるが、よみきかせの魅力とは別物である。音楽を生できくのと、CDできくのでは違うように、よみきかせは肉声でないと成立しないのである。そこがまた無上の喜びの源泉でもある。 (上毛新聞 2007年11月29日掲載) |