視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
利根生物談話会会長 小池 渥(沼田市西倉内町)

【略歴】 長野市出身。信州大卒。長野県蚕業試験場松本支場勤務を経て、1954年から県内公立高校で生物教諭を務め、91年に武尊高校長を最後に退職。

生命の科学

◎身近な自然の観察を

 理科のうち生物は生命の科学について学ぶということは誰でも認めているが、現場の授業では生命現象を観察するのは難しいことである。ムラサキツユクサの雄しべの毛の植物細胞を顕微鏡で観察し、はじめて原形質流動を見たり、ゾウリムシの活動を見たときは感動するが、すべての生物で簡単に動き流れるものを観察することはできない。血管系を血球が流れる様子をオタマジャクシなどで検鏡できる程度で、細胞の内部を観察することはできない。

 よく単細胞というが、アメーバ、ゾウリムシといえども、植物細胞と違い原形質内には核のほか、大小の顆粒(かりゅう)があり、高等動物の器官に相当する機能を持つしくみになっているようだ。ヒトの体の細胞を簡単に観察するには、口腔(こうくう)内の皮膚の細胞がよく用いられる。また、発生学上ではウニの卵が用いられるが、材料の入手方法が困難で一般的ではない。

 光学顕微鏡から電子顕微鏡の時代となり、これまでとは全く違ったミクロの世界を見ることができるようになった。しかし、一般の高校では写真か映像でしか見ることができない。現在では多くの視聴覚教材が製作販売されており、高度な実験の一端を視聴させることによって理解させることができるようになった。

 ところで、「生物」という授業は種類、構造、働き、種族維持、発生、生物と外界(環境)などの内容で進められてきたが、今日では分子生物学的な見地から生活細胞内部のエネルギー交代のしくみについて言及するようになった。遺伝子の問題も研究が深まってきた。

 これも、高校で生物の授業をしながら、身近にある動物、植物がどのような生活(生命活動)をしているかを直接観察することは全くできず、教科書や資料の講義、説明に終始し、定期試験に出題し生徒の記憶力をチェックするだけのことで、果たして生命現象である生物の授業なのか煩悶(はんもん)したものだ。

 自分たちの身辺から始まり地球上のあらゆる生物について種類、分類、生態を理解できずに生物とは何かを論ずることは、まことに恐れ多いことといわざるを得ない。「先生の専門は動物ですか、植物ですか」と聞かれ、「私は昆虫関係を学んできたので、一応、動物分野ですかね」と答えるが、はっきり区別するような知識はない。よく野外観察会などで、植物や昆虫類に大変詳しい方がおられ、羨(うらや)ましいと思う。

 私どもの生活している周りには物凄(ものすご)い数の生物が存在し、肉眼で見えるものからミクロの生物まで、計り知れない種類の生物に取り囲まれているといっても過言ではなかろう。

 小中学校の理科教育では身近な生物の観察、飼育、栽培、標本作成などをしっかり行うことによって、正しい種名を覚えさせることが大切であると思う。プランクトンの観察、カイコの飼育、校庭・家の周り・田畑の植物調査や栽培などは好適な生物観察の機会である。先生は生徒とともに時間をかけて自然に目を向けてみよう。






(上毛新聞 2007年11月18日掲載)