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◎前へ飛び出したアンコ ひょんなことから小さなギャラリーを始めて二年近くがたった。今でも自分自身、この現実に追いついていけないような不思議な感覚になる。 私は前橋の書店の娘として生まれ、本の匂においの中で育った。変な家で、祖父・元吉は会社のやりくりに苦労しながら、詩人としての人生を生き、父・徹も激動の経営のなか、二○○五年に亡くなるまで絵を描き続けた。常に相反する心の岸に片足ずつをのせ、生き真面目(まじめ)に不器用にバランスをとってきたのだろう。 そんなふうに思えば、私の今も、似たようなものなのかもしれない。父の亡くなった年は、いろいろなことが次々と起きたとんでもない年であった。高橋家が経営から退き、そこにあった大きなギャラリーは閉鎖となった。その上、私の可愛(かわ)いがっていた犬まで死んだのだ。同じ年の秋にギャラリーを始める決心をしたのだったが、たぶん、その年の異常な興奮状態の中でしか選べなかったことだと思っている。 ともかく、その小さなギャラリーで、時々「よく、思い切って始めましたね」と言われることがある。たしかにその通りなのだが、そんな格好の良い話ではなく、饅頭(まんじゅう)踏(ふ)んだら、アンコがピュッと飛び出した状態というのが一番ピッタリしている。元来、何かを目指してきちんとやれるタイプではなく、いつも何かが起きてしまった時に動物的な勘(?)で、咄嗟(とっさ)に行動を起こしてきた。そんなことの連続で、自分でも想像もしなかったところをずっと歩いてきた。 ただ一つ言えるのは、なぜか踏まれた時に飛び出すアンコの方向が、常に前方だったということだ。異常な勢いで始めてしまったものの、ギャラリーを続けてゆくということは大変なことだ。専門的な知識があるわけでなく、強いて言えば、小さな文化の灯を消したくないという、しょうもない志と、野や次じ馬的かつ無邪気な好奇心が私を動かしているのかもしれない。 ギャラリーという場はシルクロードのオアシスに似ている。さまざまな人の気が交差し、不思議な縁が生まれる。この場に一人ポツンと居ると、見えない風のように大きなうねりを感じてくるのだ。それが何なのか、オアシスに満ちた気が私を遙(はるか)まだ見えないものへと誘(いざ)なうのだろうか、心は彼方(かなた)に広がってゆく。そしてふと思う。この先どれだけの縁と出合い、そして桜を待つように何回再び巡り合うことができるのだろうか。 そのことを思うたびに、つくづくドンキホーテを思わせる“高橋”の人間の運命のようなものを感じざるを得ない。 私の好きな元吉の詩の一つに「水のたたへのふかければ/おもてにさわぐなみもなし/ひともなげきのふかければ/いよよおもてぞしずかなる」というのがある。 こうありたいと思うのだが、ところがなかなか今もって静かにはなれない。たぶんこれからも不思議な縁に支えられながら、飛び出したアンコを追いかけて、面白くも厄介な饅頭作りを続けていくのだろう。 (上毛新聞 2007年11月17日掲載) |