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園芸研究家 小山 征男(高崎市引間町)

【略歴】 横浜市出身。高崎市で山野草を扱う中央植物園を営み、代表取締役。全国山草業者組織「日本山草」役員。「NHK趣味の園芸」講師。著書は『山野草』など。

菊の節句

◎見直したい旧暦の行事

 遠山からは雪の便り、色づいた庭の木々の根方では白菊の花色が冴(さ)える時節です。日本はキクの国。リュウノウギクやノコンギク、ヨメナに代表される、野趣あふれる多くの野生ギクと、あでやかで豪華な園芸種がこの季節を彩ります。花色が豊富で種類も多く、開花期間の長いことがキクの仲間の特長です。「菊の節句」とも呼ばれる旧「重陽(ちょうよう)」のころから、これらの花が家々の庭先で妍(けん)を競います。そこで今回は、そのキクと節句に触れてみましょう。

 キクという名称は、この植物の仲間を総称します。しかし、一般的には野生ギクは野菊と呼び、単にキク、あるいは菊と表記するときは園芸種を指します。桜とともに日本を象徴する植物ですから、日本原産と思われがちですが、実は古く中国から渡来した園芸植物です。特に奈良時代、先進国である中国から、貪欲(どんよく)に導入した文化と一緒に輸入された植物の一つが菊でした。その後、江戸時代には、ほかの植物とともに、本家をはるかにしのぐまでに改良されたのです。そして現在では、名実共に桜に匹敵する地位を占めています。

 奈良時代は外来文化の模倣の時代。中国の年中行事である五節句の一つが重陽です。九月九日に、神仙の世界の植物とされる菊の花を浸した菊花酒を飲み、前夜から花を覆って香りを移した被綿(きせわた)で体を拭(ぬぐ)えば、不老長寿の効能があるとされました。呪術(じゅじゅつ)的、宗教的要素も含んだ行事でしたが、当時の貴族は花を愛(め)で、その植物の持つ霊力を信じたのです。

 古来、日本人は、津波のごとく押し寄せる外来文化を、旺盛に摂取吸収してきました。ですから、菊の改良のように、長い時間をかけて独自の形につくり直して現在に至っているのです。江戸時代に公的行事であった五節句の制度は、明治時代に廃止されましたが、それでも日本的に形を変えて、季節の変わり目の民間行事として今日に伝えられています。

 重陽も現在の暦に記載される行事ですが、上巳(じょうし)、端午、七夕などの節句に比べると、いささか影が薄いように思われます。重陽節には咲いてほしい菊の花ですが、昼間の時間が短くなるころから咲く短日性植物であるために、新暦の九月九日ではほとんど咲きません。「六日の菖蒲、十日の菊」。結婚式の当日に間に合わなかった新婦のドレスのようです。重陽節の影が薄くなった所以(ゆえん)でしょうか。

 旧暦の行事の日付をそのまま新暦で行うと、不都合を生じる場合が少なくありません。本来、重陽は旧暦九月九日の晩秋の行事。そのころならば菊の花は咲き出します。新暦は現代の生活には不可欠ですが、その地の気候風土、自然現象に合わせて改良を重ねてきた、複雑ですが温(ぬく)もりの感じられる旧暦も見直して大切にしたいものです。その上で、二夜(ふたよ)の月のように、旧暦で行われるべき行事は旧暦で催してほしいものです。今や国花とも考えられる、咲き誇る菊の香りに包まれて長寿を願うことこそ、菊の節句、重陽にふさわしいと思うからです。






(上毛新聞 2007年11月10日掲載)