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◎「地方選出」と呼べるか 前回(八月二十四日付)掲載された拙稿「政治と世襲」について、読者の方から数通の感想文を頂戴(ちょうだい)した。その中で印象に残る一文を紹介してみたい。地方公務員の方からのもので、要約するとほぼ次のようである。 「明治維新のころから戦後にかけて、庶民意識を心に秘めて、国のあるべき姿を求めて地方からの青年が国会議員を志した。官僚も然(しか)りである。それがいつのころからか、都会生まれの都会育ちによって国の主導権が握られるようになり、都会人による都会のための政治が行われるようになった。地方は無力化され、名のみの存在となった。江戸時代でさえ各藩には独立性があり、活力があったというのに、昨今の悄然(しょうぜん)ぶりはどうしたことであろうか。国が世襲政治家によって支配されるようになった結果、エネルギーの衝突力を失って衰退化し、“老国”への途を急いでいるのかもしれない」。読者からの警鐘の言葉である。 それに示唆されて、江戸時代の幕藩体制下に思いを馳(は)せてみた。参勤交代制度は諸大名に江戸表と国元とを一年ごとに交代させて、生活基盤を等分に置かせた。領主は国元在住の折、多くのことを見聞し、学習していたに違いない。地理や気候風土、藩士領民の生活、思考、慣習など国元の実情をかなりの程度、熟知していたものと思われる。それが江戸表に反映され、幕府は各藩の情報を収集して政治の中で参考とした面は少なくはなかったであろう。そうでなければ幕府二百六十年余の治世が続くはずもない。 近時、国会議員の世襲は著しい。世襲議員のうち、都会で生を受け、都会で育ち、選挙の時だけ国元の支援を受けて国会議員になる者は多いと聞く。生後この方、生活基盤のすべてを都会に置き、国元との関係は希薄なのに、選挙という絆(きずな)だけで結ばれている。国元での在住経験がない者に、国元庶民の生活実態を知り、同じ感覚を共有してほしいと願う方が野暮(やぼ)である。かつての藩主に比べて、国元との関係ははるかに疎遠なのである。彼らは都会を背景とする都会の国会議員であって、地方の選出議員と呼ぶにはふさわしくはない。 世襲議員の選挙は桁(けた)外れに強い。百メートル競走を例にとると、三十メートル、五十メートルもの先からスタートするに等しい。スタートラインにつかなくても当選する者もいる。選挙の洗礼とは本来、同じハンディを背負って、同じ位置からスタートして競う、公平の原則を意味するものと思うが、現実は逆方向に進んでいる。政治の中枢を占めるのも、総理大臣になるのも世襲議員でないとまず不可能な時代になってきた。 都会と地方との格差は社会的、経済的構造の変化によるだけではなく、もしかしたら都会に本拠を置く世襲議員が多くなってきたことも影響しているかもしれない。地方の実情にうとく、地方の声を実感として認識できないせいがあろう。政治家のあるべき姿を日本全土で真剣に考えてみる時期は迫っている。 (上毛新聞 2007年10月23日掲載) |