視点 オピニオン21
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銅版画家 長野 順子(高崎市筑縄町)

【略歴】 慶応大経済学部卒。野村総合研究所で経営コンサルティング部長などを歴任。現在はコンサルティング事業本部業務管理室長も務める。東京都生まれ。

建築と環境の調和

◎考えたい美しい風景

 なだらかに連なる山々の稜線(りょうせん)を遠景に、幾重にも水平線を重ねて田畑が広がる。黄金色の稲穂の海原に、稲を守るネットが軽やかに浮かんでいる様子も美しい。自然の曲線がつくり出す風景にちょうどいいバランスで人がつくった直線が挿入されると、風景が少し引き締まった感じがする。「絵になる」風景だと思う。人の生活が自然の邪魔をしないで馴染(なじ)んでいる雰囲気もなんとなくうれしい気がする。

 直線の美しい建築の一つに、建築家フランク・ロイド・ライトが設計した「落水荘」がある。一九三六年に米国のペンシルベニア州に建てられた個人住宅である。緑豊かな渓谷に、空中庭園のようなテラスがリズミカルな水平線を浮かび上がらせる。三層に重なるコンクリート造りのテラスは重厚でありながら、木立のつくり出す繊細な垂直線を壊すことなく馴染んでいる。むしろ、自由奔放に幹や枝を伸ばす樹木が立ち並ぶ景観を、真一文字に貫く建築の形態が引き締めて、より一層美しく見せているように感じられる。コンクリートや石に覆われた外壁の素材感と、張り出した軒の深い陰が建築の細かな部分を隠していることによって、建築が大地の一部となり、景観に溶け込んでいるように見える。

 渓谷の下流から建築を見上げると、張り出したテラスの下から流れ落ちる豊かな水が乾いた質感の建築と絶妙な調和を保ち、実に絵になる景観を生み出している。「落水荘」とよばれる所ゆえん以である。建築科の学生だった私が、設計課題の資料として初めてこの建築を目にした時、その美しさは衝撃的だった。建築と風景との調和なくして、建築の造形美は語れないということを学んだ。

 建築は風景をつくり出す、と同時に、風景を壊すものでもある。ものづくりの悪い癖で、斬新さを求めるあまり、奇をてらい過ぎて失敗することが多々ある。単調さを打破したい気持ちも分かる。壊すことによって新しいものが生まれるという考え方は間違いではないと思う。しかし、時間的にも空間的にも広い視野をもって慎重に挑むことが必要だ。再生が望めなければ、改革も暴力的な破壊でしかない。

 建築に限らず、形あるものの美しさには、環境との調和や均衡が欠かせないと思う。環境とは、都市環境も含めた、人がかかわるすべての環境である。そして、つくり手はもちろんのこと、すべての人に、形あるものの美しさについてもっと敏感になってほしいと思う。美しい風景をつくり出すことは、何も芸術家だけに任された仕事ではない。私たちが何げない生活の一つ一つに気を配ることによって、美しさは築けるはずだ。今まで人間がいかに風景を壊してきたか、気が付いた今だからこそ、美しい形について真剣に考えてほしいと思う。






(上毛新聞 2007年10月22日掲載)