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県経営者協会専務理事 松井 義治(前橋市関根町)

【略歴】 中央大卒。県経営者協会事務局長を経て、2002年4月から現職。群馬地方労働審議会委員、県労働委員会使用者委員、日本経団連地方経営者協会専務理事会副議長。

情報の選択力

◎自制心や見識が前提

 歴史は、過去から現在、現在から未来へとつながっている。その歴史の一部を省略したり、部分だけで判断したりすると、未来を見通せなくなってしまう。同じように、日常の出来事についても、われわれは特定の部分しか見ることができないから、見ている部分だけで判断したら、大切なことに気づかないまま間違いをおかすことがあるかもしれない。

 例えば、成人式の様子をテレビで見ていると、出席している「新成人」が、奇抜な髪形や服装をして、挨拶(あいさつ)や記念講演を聞かず、会場内外で大騒ぎしている様子が放映される。見ている側としては、出席者がみんな騒いでいるかのように思ってしまう。しかし、それは一部の幼児性の抜けていない者たちが騒いでいるだけで、実際には静かに参加している人たちのほうが多かったはずだ。でも、毎回のようにそういう映像を見せられていると、中には成人式では大騒ぎするものだと信じてしまう者がでてくるだろう。

 これは犯罪でも同様で、これまでになかった残酷な犯罪が起きると、毎日のように報道される。それをコメンテーターが分かり切ったような解説をするから、視聴者も一緒になって犯罪の原因分析や評論をしているうちに、ゲーム感覚で犯罪の分析をするようになる。こうして、いつの間にかお茶の間で異常なことが普通の話題になってしまう。

 このように、マスコミの報道もわれわれの「話題」も、変わったこと、衝撃的なことなどを取り上げる傾向が強い。「変わったこと」というのは、常と異なること、つまり「異常」ということだ。そうすると、他方では圧倒的多数の、地道に生きている普通の人たちのことを捨ててしまうことになる。特異な現象面だけを話題としているうちに、世の中全体が特殊で異常なことを、普通のこと、当たり前のこととして受け止めてしまうようになるだろう。

 同じことが産業界にもある。労働組合の組織率が下がり、騒ぎが起きないと、もうそれだけで「労使紛争はなくなった」と決めつけてしまうのがその例だ。ところが、労使紛争も現実には目立たない個別の事件が嫌になるほど起きているわけだから、見方を間違えると、対応も間違ってしまう。人材でも、ある人からは有能といわれている者が、他の人にとっては使いものにならないとしかいえないこともあれば、またその逆もある。

 これらは極端な例かもしれないが、本来は情報を提供する側に節度が必要で、情報の受け手側には情報を取捨選択する力、言わば「情報の選択力」がなければならない。

 情報を選択する力がなければ、異常な方向へと進む可能性が高いが、その選択力は、社会のルールやマナー、自制心や善悪の区別、情報収集力、高い見識と判断力などの確立が前提ではないか。今、世の中で、その前提が崩れてきているように思えてならない。






(上毛新聞 2007年10月20日掲載)