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全国フィルム・コミッション連絡協議会専務理事 前澤 哲爾(東京都品川区)

【略歴】 館林市出身。慶応大卒。山梨県立大国際政策学部准教授。NPO一新塾理事。国際NGOシャプラニール評議員。地球環境映像祭審査委員長。

日本の水

◎消費の構造変えよう

 先日、東吾妻町の箱島湧水(ゆうすい)に行ってきた。私は東京在住だが、車で前橋などに行く時には、ここに水を汲(く)みにいく。一回に十六リットルの容器を五個持っていく。二リットルのペットボトルが二百円くらいだから八千円分になり、高速料金は十分に出る。群馬県の自然の恩恵をいただき嬉(うれ)しいかぎりだが、なぜそこまでしなくてはならないのか、少し変な気もしている。

 私は館林生まれ。子どものころは自宅の井戸水を飲んでいた。夏でも冷たくおいしかった印象が今でも残る。その後、水道になったが、特に変化を感じなかった。静岡で四年間を過ごした時も、水のことを気にしたことはなかった。当たり前であることは何も感じないものだ。しかし、静岡から何度か東京に行くようになって、初めて水が匂(にお)っていることに気がついた。街の喫茶店に入ると、珈琲(コーヒー)の香りとともにカルキの匂いがするのだ。今は相当改善され、東京都水道局が「東京水」(金町浄水場製)を売り出しているほどになり、極端な匂いはしないが、自宅の水で珈琲は入れない。

 いつから、私たちは当然のように「水」を買うようになったのだろう。私は、さまざまなテーマで「日本が国際化しない」ことが大きな問題だと主張しているのだが、こと「水」に関してはすっかり国際化し、他の国と同じく「水は買って飲むもの」になってしまった。自らが自然を破壊し、環境に負荷をかけた結果として、おいしい水が減っていった。タダ同然だった水が商品化され、ペットボトルという膨大なごみ原料と一緒に日本中で消費されている。カナダやフランスからの輸入飲料水までも近くのコンビニで買えるようになった。因(ちなみ)に「エビアン」も「ボルビック」もフランスの町の名前である。今のところ、日本の水がまずくなったといっても、まだ飲用できるのがせめてもの救いだが、今後ますます増える廃棄物処分場の処理方法を間違えると、将来はどうなるか大いに不安になる。

 一方、この「水」は最近値上げしたガソリンよりも明らかに高い。本当に不思議でならない。誰かその秘密を教えてほしい。例えばアラビア半島の油田から採掘した重油を、巨大タンカーで一万キロ余りもかけて日本まで運ぶ。石油プラントで精製してガソリンを作る。それをタンクローリーで全国のガソリンスタンドに配達する。ガソリンの料金には、原料費、運搬費、加工費、販売費、管理費、利益が含まれるが、そのほかに税金が六十円以上含まれている。税金を除くと「水」よりずっと安い。近くで取れた「水」より、なぜ手間のかかるガソリンが安いのだろうか。因みに、ガソリンの場合、その税金に消費税5%が掛かる。これも不思議だ。

 あらためて言うまでもないが、日本はきれいな水に恵まれた数少ない国の一つだ。毎日風呂に入ることができるのも世界から見れば、本当に贅沢(ぜいたく)なことである。今、その貴重な豊かさをもう一度意識し直し、自分で自分の首をしめるような構造を変えることが必要である。






(上毛新聞 2007年10月16日掲載)