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写真家 田中 弘子(東京都小金井市)

【略歴】 東京生まれ。群馬県の養蚕・蚕糸絹業の写真「繭の輝き」が2006年第15回林忠彦賞を受賞。東京の河川等のドキュメンタリーを追う。日本写真協会会員。

世界遺産登録

◎幅広い情報提供が課題

 庭の片すみに、夏の終わりを告げる真っ白な曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花が咲いている。毎年この花を見つけると八十五歳で他界した母のことを思い出す。

 母から形見として受け継いだものの中に、心に強く残っているものがある。母が婚礼のときに身に着けた丸帯で、今は色あせてはいるが、その豪華さは見事なものである。金糸、銀糸などを用い、表裏同じ模様に織られた丸帯は、帯の中で最も格式の高いものである。貧しかった時代に、嫁ぐ娘に持たせた振り袖と丸帯。遠い昔の祖母の思いが伝わってくる。

 現在、丸帯を製織できるのは、西陣の数社と桐生では合資会社後藤だけといわれている。代表の後藤隆造さんに話をうかがってみると「丸帯は日本の帯の原点。伝統技法は一度途切れると復活は困難になる。百三十八年続けてきたので、意地で織り続けている」と心強い言葉が返ってきた。

 「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、今年一月、世界遺産暫定リストに登載された。登録実現のための問題は山積しているだろうが、富岡製糸場を中心に、養蚕、製糸、絹業などの興味深い情報をいかにより多く、より幅広く提供できるかが、これからの課題ではないだろうか。とくに大切なことは、人々がどうかかわっていくかだ。観光だけで終わってほしくない。

 蚕から繭へ、繭から生糸へ、生糸から絹織物へと脈々と続いてきた一連の伝統産業が、まだ群馬には残っている。織都桐生に足を運べば、日本の帯の原点「丸帯」が織られているように、この現状こそ群馬の誇りであり、富岡製糸場を支える大きな力になるに違いない。

 製糸工女哀史「あゝ野麦峠」の話は広く知られているが、意外に知られていないのが富岡製糸場内で働いていた工女たちの実態で、和田英の「富岡日記」は当時の生活を克明に記録してあり興味深い。英訳したものはあるのだろうか。この時代の日本の女性を知る上で貴重な資料だ。テレビドラマになったら面白いと思う。

 四月二十九日、NHKテレビ番組「小さな旅・誇らしくたたずむ群馬富岡製糸場」に、かつて工女として働いていた加藤とりさん(97)が登場した。

 七十五年ぶりに訪れた製糸場で満開の桜を眺めながら「親に孝行しようと思って、ここに来る気になったんですよ」と昔を振り返り、「十八歳のとき、五百一人の頂点になったときは本当にうれしかったよ」と話す笑顔は、喜びと誇りに満ちていた。加藤さんは製糸場で貴重な体験をされた方なので、その仕事と生活の様子を何らかの形で記録として残していただけないだろうか。

 上毛新聞にはこれまでに「絹人往来」「絹先人考」「絹の国の物語」「私の中のシルクカントリー」など多方面の情報が連載され、貴重な財産になっている。

 なお、佐滝剛弘さん著『日本のシルクロード・富岡製糸場と絹産業遺産群』が中公新書ラクレよりきのう出版されたが、私の写真「繭の輝き」から数枚が引用されており、関連資料としてひとつの参考にしていただけたらと思う。






(上毛新聞 2007年10月11日掲載)