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脳機能検診センター小暮医院長 小暮 久也(埼玉県深谷市中瀬)

【略歴】 慈恵医科大卒。米マイアミ大や東北大の医学部神経内科教授、世界脳循環代謝学会総裁など歴任。「明日への伝言」など一般向け著書も多数。深谷市出身。

灯火親しむべし

◎良書が教える「徳」

 台風のあおりで雲行きが速く、菊の花の上にまた次の闇が迫っている。月影が去ったその闇の中で私は、約束を果たすために切腹をして帰ってきた赤穴宗右衛門(あかなそうえもん)のことを思い出していた。「約束をはたした話」は小泉八雲が上田秋成の「菊花の約(ちぎり)」を基にして書いたすばらしい再話文学で、宗右衛門が義弟左門(さもん)と交わした「秋のはじめ、重陽(ちょうよう)の節(せつ)には戻ってくる」という約束を守るために『霊魂(たましい)よく一日に千里をいく』と言う言葉を信じて魂になって帰ってきた話である。それがよほど深く私の心に残っているらしい。

 個人の幸せや望みが、よこしまな力によって押しつぶされてしまうことが時にはある。そうした状況に抗し、自らの誇りにかけて、命を代償にしてまでも信義を守ろうとした話は他にもあって、例えばギリシャの古い伝説に端を発した太宰治の「走れメロス」も思い出される。

 「私を待っている人がいる。私が戻るのを少しも疑わずに、静かに待っている人がいる。その信頼に報いなければならない」。身代わりを頼んだ竹馬の友セリヌンティウスの命を救うために、そして暴君ディオニスに示そうとしている友情の大切さと正義のため、メロスは自らの刑場に向かってひた走りに走り続けた。

 青春時代の友情の持つ純粋性を背景にした小説だったこともあって、若かった私はそれを何度も読み返し、そのたびに感動を新たにした。そして思った。人間は、命よりも大切なものを持って生きている。

 幸田露伴の「一口剣(いっこうけん)」では正蔵が日本一の刀鍛工(かたなかじ)と殿様に思い込まれ一振りの新刀を鍛えよと命じられる。そんな実力は全く持っていない正蔵は悩んだ末に死のうとしたが、「虫の如(ごと)くに死すべきや」と心機一転、全身全霊を込めて刀を打ち上げた。待ちかねていた殿様が「正蔵、よくぞ作りし、美しさは十分の作なり」と感嘆した後に、「されど切れ味は如何(いか)に?」と問いかけると、正蔵は踊りあがって殿様の前に仁王の如くに立ちはだかり、便々たる腹を丁とたたいて言う。「切れ、是これを、たしかに二つになって見せむ」

 昨今では、資本主義が陥りやすいと予告されていた拝金主義、あるいは合理主義の悪しき一面として知られる功利主義が社会の健全な発展を妨げていることが多々あるように思える。それでも有徳の人はしばしば正義や誇りを目前の利益に優先させる。そしてそのような人々は、人としての道に背いてまで金儲(かねもう)けをしようとしたり、一身の栄誉を望んで人々の信頼を裏切ったりするようなことはしないものだ。幼い者にも良書がそういうことを教えてくれる。しかし本は、読み手の年齢や知識に合わせて選ぶ必要があり、それは親の仕事である。秋の夜は、子供と一緒に読書に親しんでみられてはいかがであろうか?






(上毛新聞 2007年10月9日掲載)