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◎社会の受け入れ体制を 「七万二千人問題」。精神保健・福祉・医療の領域で、最近、話題となっていることだが、残念ながら一般的にはあまり知られていない。七万二千人という数字は精神科病院にいる社会的入院者数のことである。 社会的入院者とは何か? 「社会的な受け入れ体制があれば、退院可能な人たち」と定義されている。補足すれば、精神科病院での入院治療は終了し、状態も安定しているが、社会の受け入れ体制が整っていないため、退院できないでいる人たちである。 厚生労働省の調査では、七万二千人いるという。そして今、この人たちに病院から退院し地域生活へ移行してもらうため、地域での受け皿づくりに着手していく検討が始められている。ちなみに群馬県では約千人の社会的入院者がいるとされている。 私は、この問題を直視するとき、忸怩(じくじ)たる思いが胸をよぎる。なぜそうなったのか! なぜ、七万二千人もの人たちが社会的要因で入院を余儀なくされてきたのか? そんな疑問に伴う思いである。 これだけ多くの人たちが長期入院するような状況は、自然現象のごとく起こったのではない。私は、このような事態は人為的なものだと思う。そう理解した上で問題を解決していく方法を考えていくことが大切だ。人為的につくられた状況だとすれば、つくりだした国の施策や医療・福祉関係者、また、国民一人一人の心が問われているといえる。これからの地域づくりのありように深く関係してくるのである。 現在、精神科病院には約三十三万人の人が入院している。そのうち、五年以上の入院者は42・5%(約十五万人)いる。驚くべき状況だ。こうした人たちは決して入院生活を好んで選択しているわけではない。選択肢さえ与えられないまま、年月が流れてしまったというのが、偽りない現状である。このような長期入院者の中に「社会的入院者」問題が存在する。 入院期間三十数年というとき、その歳月の長さは言葉で表現しがたい。二十代で入院し、人生の大半を病院の中で過ごしてきたという重き事実。当事者は「仕方ない。病気になったのだから。帰る場所もなくなったし…」と諦(あきら)め気味につぶやく。しかし、決してその人の責任ではない。心の病になったのは、その人のせいではないのだから。 本来、入院生活をしなくともよいはずの人たちが、「社会的要因」で入院を余儀なくされていることは、非人道的ともいうべき事態であろう。今、私は責任の所在を明らかにしようと主張しているわけではない。しかし、少なくとも病院を入院者の「第二の故郷」にしてしまったことの重大性を反省していく姿勢は問われている。多くの人たちにこの問題を共に考えてもらいたいし、その打開に取り組んでいきたいと思う。 (上毛新聞 2007年10月3日掲載) |