視点 オピニオン21
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書家 山本 素竹(渋川市中郷)

【略歴】 「ホトトギス」で俳句を学ぶ。朝日俳壇賞、伝統俳句協会賞。同会幹事。俳句同人誌「YUKI」同人。画廊あ・と代表。書や篆刻(てんこく)の個展を続ける。本名啓太郎。

田舎暮らし

◎自然とともに生きよう

 記録ずくめの今年の夏の暑さでした。わが家は農村地帯の木造家屋。どこもかも開け放し、人のいないところまで扇風機をつけ、我慢の限界を楽しみながら、いつかおさまる、いつか涼しくなる、と祈りにも似た気分で取りあえず一日を終えるのが日課でした。

 ところが最近の町の家々は窓という窓を閉め切り、冷房はつけっ放し。田舎者が町を歩くと、そのエアコンの室外機から出る熱風に見舞われ閉口します。涼しさを求め冷房をつけ、そのための熱は戸外に出す。わがままな話ですが、お隣もお向かいも同じで、誰もがやっていればお互いさま。地球温暖化が叫ばれてる昨今も、これに文句を言う人はいません。自分の暮らしが一番で、窓を開けず、隣人の顔を知らず、もちろん朝の挨拶(あいさつ)もしない人が少なくない。病気になっても知ったことか…。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」とは逆の生き方です。

 ずっと昔、東京に住んでいたことがありました。街灯に黒い大きな虫が群がって飛んでいました。田舎育ちの私は、もしかしたら東京にも「クワガタ」がいるのではないかと暫(しばら)く見ていたことがあります。それがテレビでしか見たことのなかった「ゴキブリ」との初の出合いでした。それから何年たったでしょうか。ついにわが家もゴキブリの姿を散見するようになってしまいました。うちの奥さんが鬼に変貌(へんぼう)するときです。温暖化や人家の暮らしやすさのために、生息域が北上してきたのだと聞きました。

 最近の侵入者はアオマツムシです。今年も八月までは昔ながらのコオロギやスイッチョなどがそれぞれ闇を譲り合って鳴き声を楽しませてくれていましたが、ついに九月になってアオマツムシが鳴き出しました。リーリーリーと甲高いもので、今まで鳴いていた虫の声が聞こえなくなります。万葉の時代から和歌に詠(よ)まれてきた秋の夜の虫の音は、残念ながら静かに楽しむものではなくなってしまいました。

 これも東京で聞いたのが最初でした。蝉(せみ)時雨のように街路樹での声がビルに反響していました。輸入木材とともに運ばれ、樹上から降りることなく生活しているそうですから、街路樹などを伝わって群馬の片田舎まで広がってきたようです。

 よく見かけるタンポポもブラックバスも外来種、数え上げればきりがありません。歓迎すべきものもあるかと思いますが、外来種が大手を振っているということは、その陰で冷や飯を食わされている在来の種があるはず。そしてそれは植物や動物の世界ばかりではなく、言葉も文字も文化も同じことなのです。

 食文化の急激な変化に追い付けぬ内臓は悲鳴をあげてさまざまな現代の病を誘発し、社会のあまりに性急な変化に日本人の優しい心はついてゆけず、ついに精神まで蝕(むしば)まれつつあります。ここは一つ、自然とともに生きた古き良き農耕の暮らしから学ぶべきかと思います。ゆっくり、力を抜いて競争を休み、美しい田舎の風景など楽しまれたらいかがでしょうか。






(上毛新聞 2007年9月27日掲載)