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◎「来年も出場」の思い大切 「明仁、タイムトライアル行くぞ!」。小茂田猛・群馬スイミングスクールコーチの声が響いた。三十年前、スイミングスクールの台頭で、水泳連盟との摩擦が生じる県が多い中、「どこで育とうが、群馬の選手に変わりはない」と、当時の山田稔・競泳委員長と小茂田コーチを中心に、全国に先駆けて両者一体となる群馬方式を打ち立て、群馬県水泳強化合宿が行われた時のことだった。 全国的な活躍をしている平田明仁選手が自己ベストに挑むということで注目したが、何かコーチに小声で話した後、百メートルバタフライをベストに近いタイムで泳いだ。だが、その後に発したコーチの「十分後、本番!」という言葉に耳を疑った。強化練習後、好タイムで泳いだばかりなのに、そのわずか十分後に本番? 「彼はいつもベストを出したい時は調整泳ぎをするんですよ」とコーチが話してくれた。そして、本番でベストを出した平田選手の底知れぬ心肺能力と筋持久力に、世界を目標にしている選手の凄(すご)さを実感させられた。 さて、八月十二日に沼田市民水泳大会が開催された。十地区の対抗戦で、年齢別五十メートル自由形・平泳ぎとリレーの十一競技といった小規模の大会ではあるが、各地区役員にとって選手探しは大変である。どの地区も選手経験者だけでは埋めきれず、時には泳げるというだけで出場を依頼されることもある。そのため一競技における出場選手は国体経験者から競技初心者までのメンバーで構成されることも多い。 そんな集団がスタートの合図で一斉に飛び込むが、力の差は歴然としていて、見る見るうちに引き離され、みんながゴールする時に初心者は十五メートルも遅れてしまう。しかも、初心者にとってはそれからの十五メートルが途轍(とてつ)もなく長い距離になる。それは、国体級の選手と競い合うというだけで緊張感は頂点に達し、泳ぎ始めから力んでなかなか前に進まず、三十五メートル地点では既に力を使い果たしてしまっているため、その後のひと掻(か)きひと掻きは息もできなくなるほど苦しいからである。 一人だけになったプールからやっとはい上がり、足取りも重く“来年は絶対出ないぞ”というような顔でテントに戻った選手に、地区役員が声をかけた。「(棄権者がいるので)三点も取ったぞ。よく頑張ってくれた! ありがとう!」と。その瞬間“頑張れたんだ。よし、来年はもっと練習してまた出るぞ”と言っているかのように選手の表情が明るくなった。私は目頭が熱くなる思いがした。なぜなら、責任者の一言がなければ、その選手は惨めな気持ちのまま帰途についたかもしれないからだ。そして、心の中でつぶやく。“来年も選手で来いよ。君も立派なアスリートだ!”と。 世界的な選手はもちろんのこと、小さな大会でたとえ遅くても最後まで頑張る選手もまた大変素晴らしい。その人が“来年もやるぞ”という気持ちになる経験も、スポーツがつくり出す価値あるライフステージだと思う。さまざまな葛藤(かっとう)とドラマを生み出す競技スポーツで一人でも多くの人が頑張ることを私は願う。 (上毛新聞 2007年9月22日掲載) |