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砂防・地すべり技術センター理事長 池谷  浩(東京都世田谷区)

【略歴】 栃木県生まれ。桐生高、京都大農学部卒。建設省に入省し、砂防課長や砂防部長などを歴任。現在、中央防災会議専門委員、砂防学会副会長を務めている。農学博士。

カスリーン台風から60年

◎地域の防災力考えよう

 今から六十年前の一九四七年九月十四日から十五日にかけて、カスリーン台風の接近と日本列島付近に停滞していた前線の影響で大雨が降り、死者千七十七人、行方不明者八百五十三人、住宅損壊九千二百九十八棟等の悲惨な被害が出た。罹り災者の数は四十万人を超え、わが国の治水史上有数の大災害となった。

 カスリーン台風による災害は、利根川の堤防が決壊し、下流の埼玉、東京で洪水による大きな被害が生じたことから首都圏の水災害というイメージが強い。しかし、この災害で死者が最も多かったのは群馬県(五百九十二人)であり、土石流により地域や集落が壊滅的な被害を受けたのもまた群馬県であった。その理由として戦後の山地の荒廃や短い時間内に大量の雨が降ったこと、何よりも十分な防災対策がなされていなかったことが挙げられる。

 多くの被害のうち特に赤城村(当時)の深山集落を流れる沼尾川の被害が悲惨を極めた。三十三回忌を迎え、現地に建立された『水難者精霊之碑』の碑文は次のように記している。「赤城山も崩れるかと思われるばかりの大音響と同時に前山中山後入りの各窪から流れ出た土石流によって深山村落の大半を根こそぎ押し流し(中略)死者行方不明者八十三名、重傷者十四名、流失家屋百六十七戸(中略)罹災総人員は二千四百二十四人を数える未曾有の大災害であった」

 そして碑建立時の村長下田八洲太氏は「不歸(ふき)の客となられた犠牲者のご無念はもとより、一瞬の間に肉親を失った人たちの当時の心境を思うとき、今なお胸の痛む思いである。このような災害は二度と繰り返してはならない」と碑文に記した。

 カスリーン台風災害を教訓として、被害の特に大きかった赤城山周辺では国直轄の砂防事業が実施されるなど国や県による防災対策が実施された。特に六〇年には治山治水緊急措置法が制定され、水系一貫した計画が立案され、防災施設を主とする抜本的な対策が実施されて、国土の安全が保たれるようになってきている。

 しかし最近気になる資料がある。土砂災害の発生件数を調べてみると、群馬県内ではここ十年間に八十五件の災害が発生していて災害の数は減少していない。全国的に見ても、土砂災害で人的被害の発生したところのほとんどは砂防設備のないところで、しかも被災者の多くが高齢者という事実である。

 県内でもまだまだ砂防設備のないところが多く、また高齢化率が40%を超える地域が出はじめている実態に加え、最近の異常気象の発生を考慮すると、土砂災害に対する地域の安全度が低下していないか心配である。

 カスリーン台風災害から六十年。これを機に災害の教訓を思い出し、地域の防災力を考慮しつつ、地域の安全は確保されているかどうか、家庭や職場そして地域で話し合うことが大切である。そして、地域における必要な防災対策の実施に向け、住民一人一人が行動していくことが求められている。






(上毛新聞 2007年9月14日掲載)