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◎西岡家の口伝 昭和三十年代、私が幼稚園に通っているころ、家には刃物研ぎのちょんまげを結ったおじさんが回ってきた。父が撮影した一枚の写真には、その手元を見つめる五歳ぐらいの私の姿が写っている。 そのころ、近所には図案所や紋切り所、染色工場や織物会社があった。私の家も撚糸(ねんし)業を営んでおり、現在も続いている。近所には豆腐屋、パン屋など日常の生活の中に「ものづくり」をしているおじさん、おばさんがいて、毎日のように私に声をかけてくれていた。母のお使いで豆腐を買いに行き、油揚げをもらい、パン工場をのぞき、できたてのアンパンをおやつにもらい、男の子のように走り回っていた。そんな中で私の社会学は目覚めた。 しばらく、そんなことも考えずにいたが、ここ数カ月、法隆寺や薬師寺の宮大工棟梁(とうりょう)・西岡常一氏の話に深入りしている。法隆寺の西里に宮大工の三代目として生まれた西岡氏は、物心ついたころから祖父の常吉氏に手をひかれ、法隆寺の名僧佐伯定胤師のもとに連れていかれたと語っている。四歳で何もわからない子供に祖父の常吉は棟梁として生きる環境に慣れさせ、職人の仕事を見せていた。 西岡家に伝わる口伝に「塔組(とうぐみ)は木組(きぐみ)。木組は木の癖組(くせぐみ)。木の癖組は人組(ひとぐみ)。人組は人の心組(こころぐみ)。人の心組は棟梁の工人への思いやり。工人の非を責めず己の不徳を思え」ということがあるそうだ。曲った癖のある木も使い、まっすぐな木との組み合わせで強さと構造の美をつくる。 人も同じで、いろいろな性格の人の心を合わせることで良い仕事もできる。上に立つ者は厳しい言葉も使うが、リーダーとしての工人への思いやりが分かっているからこそ部下の者もついてくる。部下の間違いを責める前に、自分の人間としての徳の足りなさを恥じろ、ということだそうだ。 帰宅後、どこからともなく聞こえてくる虫の声を聞き、四季折々の変化にホッとする。そして自然への感謝の気持ちを胸に、一九九五年に八十六歳で他界された西岡氏の話を聞く楽しみの時間を持つ。西岡棟梁の声の中に飛鳥・白鳳の技と心と多くの生きた人々の声が聞こえてくるような気がして、それは現代人が忘れかけている日本人としての知恵、生き方を教えてくれる。ある年齢がきたら自分の原点を見つめ直し、目まぐるしく変わる社会の変化の中で自分の足でしっかり歩くためにも、今一度、子供から今までの自分の軌跡を考えてみてはどうだろうか。 そんなわけで、個人的なことではあるが、糸を撚(よ)る音の中で育った自分は、九月、十月と座繰りの体験をすることにした。原糸で工場に山積みにされていた生糸について学ぶことは自分探しの糸口になるような気がするからだ。 群馬は自然豊かな県だ。山あり、川あり、食材は豊か。人間は、といわれると上州特有の気質がある、と他県から来た人は言う。高齢化社会に向かい、団塊の世代は健康でいられたら、西岡家に伝わる「人組は人の心組」に通じる何かをしたらどうだろうか。社会のために、次世代のために。 (上毛新聞 2007年9月8日掲載) |