視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
駒沢大非常勤講師 若林 宏宗(太田市東長岡町)

【略歴】 駒沢大大学院修士課程修了。高校教諭、県教委勤務を経て桐生高校長で退職。太田情報商科・太田自動車整備の両専門学校長。著書に「南極大陸まで」など。

南極大陸への旅

◎難題を乗り越え実現

 「南極大陸へ着きました」という船内放送で甲板に上がると、目の前は右から左まで純白に輝く世界が広がっていた。「ついに地球の極地に到達した」という感動で胸がいっぱいになった。しかし、ここに至るまでは簡単ではなかった。

 南極大陸以外の六大陸へは、四、五年の資金貯蓄や短期の時間的計画と思い切りの良さでどうにか実現してきた。だが、南極大陸への旅は多大の費用もさることながら、時間も二〜三週間は必要である。それも、行きやすい南極の夏は北半球では冬で、学校は一年のまとめに重要な三学期である。現職中はとても無理であった。

 幸いに私の場合、退職から再就職まで一年間がほぼ自由な時間となった。そこで「この時を逃すまい」と、退職後すぐに南極大陸への旅を計画し、準備を進めた。資金はもちろん退職金の一部である。

 私の南極大陸への思いは、最初の海外旅行(アイスランド学術調査)の終了時からあった。同調査で氷河上の珍現象である「ダートコーン」というのを再発見したが、帰国後に南極観測隊長も務めた東京大学の吉川虎雄教授から「その現象は南極大陸にもある」と聞いていたからである。

 また、ケニアやタンザニアで多くの野生動物を見た時、いつか白い大陸にいるペンギンたちも見たいものだと思った。群馬県企画部が募集した「二十一世紀に残したい映画」では、邦画部門五つの内に「南極物語」を入れて応募した。

 南極大陸への旅の最大の難題は、持病のぎっくり腰であった。また、心臓や高血圧、十二指腸かいようなどの持病もあるが、旅行契約書では「船には医者はいるが医療は完全ではない」ことに同意させられた。そこで、これら持病の難題を克服するために、医院での治療、病気防止のための運動、節制を約一年間、徹底的に実行した。そのかいあって、旅の前と最中は何事もなく済ませられた。

 幾多の難題を乗り越えて到達した南極大陸では、やはりほかの大陸にはないダイナミックな素晴らしい自然や、意外な人間の歴史などに感動した。ペンギンやオットセイなどを十分に観察し、極地の火山も興味深かった。一方、温暖化による棚氷の崩壊など、ほかの大陸同様に地球の危機をここでも確認した。

 ところで現在の南極は、一九六一年の「南極条約」により、各国の領土権の主張を凍結し、軍事目的の利用を認めず、科学的調査の自由を保障するようになった。その後、南極は一部の限られた人だけでなく、ごく普通の人々が観光客として行ける所へと変わり、九一年に南極の環境、生態系を包括的に保護するための「環境保護に関する南極条約議定書」が発効した。南極へ行く人は、この議定書の順守に同意することを義務づけられている。

 南極大陸への旅は、個人旅行では莫大(ばくだい)な費用がかかるが、南極地域での経験豊かな船会社が参加しやすいツアーを組んでいる。これを利用し、南極大陸へ出かけてみてはいかがだろうか。






(上毛新聞 2007年9月7日掲載)