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草津温泉フットボールクラブ取締役 鳥谷部 史(東京都大田区)

【略歴】 慶応大経済学部卒。野村総合研究所で経営コンサルティング部長などを歴任。現在はコンサルティング事業本部業務管理室長も務める。東京都生まれ。

ザスパ草津の原点

◎情熱を再点灯させよう

 JR高崎線北本駅の東口から旧街道沿いへ北に五分ほど歩くと、勝林寺なる小さなお寺がある。ここに「倶く会え一処(いっしょ)」と刻み込まれた新しい墓石があり、サッカーを楽しみ、情熱を注いだ人生を表わす戒名「大蹴院釋忠球」で大西忠生前社長が眠っている。その命を掛けたザスパ草津への情熱には誰も勝てない。だから今でも頼っている。一月、植木繁晴監督、猪股有古相談役、小島伸幸アドバイザー、橋本毅夫強化部長、佐田聡太郎選手会長とひっそり必勝祈願を行った。六月二十九日の命日にも武尾誠社長をはじめ、植木、猪股、橋本は会していた。既に線香皿が熱かった。小島は早朝に参っていた。

 本稿の執筆時点、ザスパ草津はリーグ戦で厳しい状態にある。しかし、一昨年クラブが蹉さ跌てつをきたした時、大西さんが言っていた「俺(おれ)たちがなんと言われようと、まずはクラブを存続させることに歯を食いしばって頑張ろう。それが、クラブを立ち上げ、はぐくみ、問題をつまびらかにさせたわれわれの、皆さんに対する責任だよ」という事態に比べれば、クラブは存続している。あの時の情熱を持ってさえいれば、くじけることはない。

 ザスパ草津の広報担当の金子真美。草創期、スポンサーさまのご支援の一環でザスパ草津に出向していた。十分とはいえない内情はよく知っている。それにもかかわらず元の会社を辞めてザスパ草津に入社し、メディアという大切なステークホルダー(利害関係者)に寝食を忘れて対応している。これも情熱である。

 株主、スポンサーで、かつザスパ草津の取締役であるグローバルピッグファームの赤地勝美社長は「『井戸を掘った人たち』のことを忘れてはならない」の故事を良く使われる。ザスパ草津立ち上げのあのころ、率直に情熱だけで支援してくださった草津の方々、本当に苦しかったあのころ、クラブ存続のために奔走した人たちを決して忘れてはいけない。そして、それを凛りんとして言い続け、ご多忙な中、選手の督励も続けられる赤地社長ご自身も熱い方である。

 本県出身の浦和レッズ藤口光紀社長がJリーグ常務理事のころに諭された。「レッズも、お荷物球団と言われていた。しかしサポーターは『次は勝つ。それを見逃したら、負け試合を応援し続けたことが無駄になる』と応援し続ける。だからこそ、勝ちを得たときの喜びが爆発する。サッカーとはそんなものなんだよ」。日本一といわれるレッズサポーターの原点である。苦しい時代を共有してきたザスパ草津のサポーターさんも同じ熱さを持っている。

 こんなチームのはずなのに、今、熱い一体感の希薄化を時折感じる。存在自体を目的にする時期は終わったのだ。夢とビジョンを持って一丸となって創設時に掲げたザスパイズムの浸透、ザスパタウンの成立、七年で日本一を狙う挑戦を再点灯させねばならない。苦しいとき、言いたいことがあるとき、不満なとき、腹の立つとき、泣きたいとき、大蹴院さんの墓前に無限の情熱のおすそ分けを受けに行こう。はにかんだ笑顔で「まだまだやな」と叱しっ咤たを受けられるであろう。






(上毛新聞 2007年8月25日掲載)