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◎子供の将来 メキシコで中学生の母親たちが「日本で使わなくなったコンピューターを譲っていただきたいので、総理大臣に伝えてほしい」と大友建二団長に必死に陳情書を渡そうとした。一九九一年度文部省教員海外派遣群馬県第百二団がテレビを使って授業をするため「テレビの学校」と称されるケッツァルクァルトル中学校を視察訪問したときのことだった。 メキシコは、第二次世界大戦からの復興を成し遂げた日本を見本にして、国家ぐるみで教育に取り組んでいるという。 どの学校訪問でも、日本の教育制度を吸収しようと熱心に質問する先生や親の顔があった。そして「教育が日本のような素晴らしい国にしてくれる」と話す先生の顔を見ていると、私の亡き両親の面影が浮かんだ。 五○年代後半の日本の大人たちは、敗戦に打ちひしがれながらも復興を目指して必死に頑張っていた。私の両親も「これからは教育だ」が口癖で、子供を大学に出すことが夢だった。長屋暮らしで収入も不安定だった父が長男の入学金納入の時は「果たして卒業するまで送金しきれるだろうか」と何度も迷ったが、入学手続きを託した母の顔が浮かび、「どうにかなる」と清水の舞台から飛び降りた気持ちで納金したそうだ。それから後は、本業の養蚕指導・繭商のほかに箒ほうき草ぐさの仲買いまで、がむしゃらに働く父と、夜遅くまで事務を執る母の姿しか思い出せない。 ある日、「父の後を継ぎたい」と言った時、後継ぎを喜ぶと思った父が激怒した。「何のための教育だ。絹はナイロン製品、箒草は電気掃除機に替わる。新聞に目を通して将来を見通すのも勉強だろう!」と。教育は学校の学習だけではないことを初めて知らされた一瞬だった。 メキシコの教育への活力は子供たちにも伝わり、わら半紙を束ねたノートに短くなった鉛筆で必死に学習内容を書き込む生徒がたくましく見え、メキシコの経済発展による繁栄はそう遠くはないと感じさせられた。 しかし、今の日本はどうだろうか。手をこまねいていると、「おごる平家は久しからず」のように次世代への足腰の鍛えがおろそかになるのではないだろうか。 昭和村教育委員会に勤務していた当時だったが、「今の子は雑巾(ぞうきん)も絞れない」という話題の中で、若い主事が「今の大人は雑巾の絞り方も教えられない」とつぶやくように言ったことが今でも記憶に残る。経済大国の豊かさに甘んじ、楽なことを選び与えてしまい、次世代を背負う子供たちがたくましくなる場面を減少させていることも事実である。 「今の子は…」でなく、日本経済が沈みがちな今こそ、大人たちが日本の宝である子供たちの足腰を鍛えておいてやらなければならない。地域スポーツ活動支援をしていて感じるが、復興時のように日本が一体となって向かうものはなくても、学校頼りだけでなく、学校も含めた地域の人たちで、子供たちのたくましさを育てる場面をより多くつくってやることは必ずできる。私はそう確信している。 (上毛新聞 2007年8月19日掲載) |