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◎被爆者の「ひとりごと」 まるでそうなることが当たり前のことのように、私たちは日々を生き、そして大人になってしまいました。 今年もまた八月六日、そして九日と「原爆の日」は訪れました。 戦争を知る人たちにも、知らぬ人たちにも、時の流れは平等に訪れ、一年一年、歳としを取らせてくれます。 戦争による最悪の原爆投下により、大人になる「時」を止められてしまった子供たちが大勢いたということを忘れてはならないと思います。 被爆させられてしまうその直前までも国を信じ、親、きょうだいのことを思い、自分の未来に夢を抱いていた子供たち。 今年も例年通り広島、長崎で平和を祈念する式典が開かれました。平和式典といいながら、進まずに濁ったままの「核軍縮」という現状があります。これらの式典は、実際の原爆被害者の方々の心や生活にとって、いったいどのような意味を持つものなのだろうか、と思わずにはいられません。 慰霊式典がイコール平和式典ということに必ずしもつながってはいかない現実を、私たちもしっかり感じるべきではないでしょうか。 そんないらだちの心境を被爆者の福田須磨子さんは「ひとりごと」という詩に綴つづっています。原爆文学全集の詩歌編や地人会上演台本「この子たちの夏」にも収録されているこの詩を、ぜひ皆さまも読んでいただきたいと思います。 ◇ ◇ 何も彼かも いやになりました 原子野に屹きつ立りつする 巨大な平和像 それはいいそれはいいけれど そのお金で 何とかならなかったのかしら <石の像は食えぬし腹の足し にならぬ> さもしいと言って下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに 生きる被災者の 偽らぬ心境です ああ、今年の私には 気力がないのです 平和!平和! もうあきあきしました いくらどなって叫んだとて 深い空に消えてしまう様な 頼りなさ 何等の反応すら 見出せぬ集躁に すっかり疲れてしまいました ごらん 原子砲がそこに届いている 後略 ◇ ◇ 先月二十九日に行われたこでまりの会上演の朗読劇「この子たちの夏」で、初めて「ひとりごと」の朗読をしたTさん。家庭でも職場でも熱心にひとりごとを繰り返し続け、家族や同僚に心配されてしまったそうです。 式典のための式典にならないような「平和式典」であるよう望みます。 (上毛新聞 2007年8月10日掲載) |