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◎“ゼロのまち”目指して テーブルにはサイコロ状に切った真っ白のフレッシュチーズとよく冷えたビール・アンタルチカ。地平線が見渡せる窓際の席にカウボーイハットの紳士が座っている。彼はつい先ほど、子牛の買い付けから帰ってきたばかりである。片道千二百キロを三日間で往復する軽トラックでの強行軍を、今でも年に数回試みる牧場のオーナーである。セニョール ジョゼ・ヒオス、八十一歳。心臓にペースメーカー装着中。 ここはブラジルのアラシャ。標高千メートルのブラジル高原の一角にある小さな田舎まち。南回帰線の内側に位置するが、年間の平均気温が一八度の避暑地のような地域である。 ブラジルの牧場主は、年老いても皆チャレンジャーで勤勉である。日が昇る前から働き始め、夕方には翌日の段取りを終える。そして、大地の彼方(かなた)に揺らぎながら沈む大きな夕日を肴(さかな)に冷たいビールで喉(のど)を潤す。 ブラジルのご婦人は、年老いても皆おしゃれである。車椅子(いす)のドナ・ベージャは八十二歳。化粧をほどこし髪を結い上げ、明るい色のドレス姿で通りを行き交う人々とあいさつを交わす。人前に寝間着姿などで現れることを善しとしないファッション感覚は、ブラジル人に共通する。 わたしたちの住む日本のまちまちでも、足腰の弱った高齢者が毎朝外出着に着替え、化粧をほどこして、早朝の涼風に心地よさを求めることができるなら、寝たきり老人という言葉は過去のものになるだろう。 そういえば、ブラジルでもパラグアイでも、アルゼンチンでも寝たきり老人という言葉はなかった。寝たきり老人、その人がいなかったのである。寝たきり老人は、日本でつくられた老人像のようである。だとすると、私たちは『寝たきり老人ゼロ宣言のまち』をつくることができるに違いない。 まず、朝目覚めたら、ベッドから起こし、外出着に着替えさせてあげる。食事はベッドではなく、食卓で取ってもらおう。特に女性はしっかりとお化粧をして、髪も整えてピシッときめる。できる限り外の空気に当て、日本の四季を体いっぱいに感じてもらう。それが、庭の片隅に咲くツユクサの小さな青い花であろうと、川沿いの土手に揺れる橙々(だいだい)色のヤブカンゾウの花であったとしても、心の琴線に触れるものに出合うと、人は力を出すことができる。 日本中のまちまちが、『寝たきり老人ゼロ宣言のまち』を目指したときに、最初に到達できそうなまちはどこだろうか? それこそ、わがまち桐生であるに違いない。移りゆく花鳥風月の似合うおしゃれなまち桐生、つい数年前までうたわれた「ファッションのまち・桐生」は、現在でも健在なのだから。 (上毛新聞 2007年7月27日掲載) |