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◎人の歴史とともに歩む バッハとベートーベンは音楽史上偉大な作曲家であり、その功績は計り知れない。まるで神が彼らを通じて私たちに素晴らしい贈り物をしてくれたと思うこともある。今回は偉大な音楽家であった彼らの人間的な一面と生きた時代背景に触れてみたい。 バッハは一六八五年、ドイツで生まれた。幼くして両親を失い、家庭的には恵まれなかった。音楽の仕事に就いても、少しでも給料の良いところに何度も転職している。晩年にはライプチヒの音楽監督の地位を得てかなりの収入もあったが、友人の経営するコーヒーハウスで毎週一度、若い音楽家を集め、自作の曲を指揮していた。今でいうライブである。彼はこのアルバイトでかなり収入を得た。また、頑固で意見が合わないと剣を抜くほどの大げんかをしたともいわれているが、その半面、家庭も大切にした人でもある。彼は二十人の子供たちの教育のため、必死に働いた良き父親であったにちがいない。 ベートーベンはバッハより八十五年遅く生まれている。作曲家であると同時にピアノ教師でもあったが、教師としては大変意地悪であったといわれている。幼くして父親から音楽の手ほどきを受けたが、父親は厳格な人で、酔って真夜中に帰宅し、寝ているベートーベンをたたき起こしてピアノを練習させたという。そのせいか弟子に対しても厳しく、かんしゃくを起こして弟子の肩に噛かみついたとか、女性の弟子に対しても容よう赦しゃなく楽譜を粉々にちぎってしまったという。 子供時代にいじめられた経験を持つと長じてそうなるらしい。そんな彼も四十歳を過ぎたころ、弟が亡くなり、その息子を父親代わりに面倒見ることになった。このころから耳の病気に悩まされ、自分自身のこともままならなかったが、甥おいには最上の教育を受けさせた。彼らに共通していえることは、数々の問題を抱えながらも家族のために必死に働いたこと。幸福を願う私たちと同じ普通の人間だったと思えてならない。 現代の物質文明の中で家族関係が希薄になりつつある昨今だが、彼ら先人たちの生き方を通して自分たちの生活を再考すべき時ではないか。 バッハの生まれた少し前の一六○○年から没した一七五○年までをバロック時代と呼ぶ。ピアノフォルテが開発され、ハンブルクにオペラ劇場ができた。日本では関ケ原の戦いの後、徳川家康が征夷大将軍となり、徳川幕府が開かれた。ベートーベンの時代はナポレオンが即位し、米国では独立宣言もあった。日本では寛政の改革が行われ、「解体新書」が杉田玄白らによって翻訳されたのもこのころである。 音楽を通して社会的背景を探ると興味深い。音楽は歴史とともに歩み、その時代を反映している。人間が存在する限り音楽もまた生き続ける。今この瞬間にも世界中で創作活動がなされ、多くの作品が誕生している。その中でどの作品が後世に名曲として残るかは時の流れに任せるとして、私たちは先人たちが残してくれたこの無形の賜り物を慈しみ、大切に守り、後世に伝えていく義務がある。 (上毛新聞 2007年7月5日掲載) |