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◎生について自問自答 生涯学習という言葉が世間で叫ばれるようになってから、どのくらいの時がたつだろうか。 全国の行政機関には、教育委員会生涯学習課という部署が設置され、若い母親向けの家庭教育学級や女性セミナー、成人教養講座など、日本人の長生きライフを応援する講座が充実してきているようである。 私の義父は昨年、長寿百四歳の人生を生き抜き他界したが、生前、いつもこんなことを言っていた。 「今まで生きてきてこんなにいい時代はない。もったいなくて死ねねぇ」 悲惨な戦争を体験した人間ならではの感想ということなのだろうか。 人間の一生を最も短い言葉で表すならば「生まれた」「生きた」「死んだ」の三語に尽きるかもしれない。 私たちは今生きている。自分の生を「今、生きている」と声に出して表現してみよう。声質はともかくも、あなたは、どんな勢いやリズム、イントネーションで自分の今の生を表現しますか? またできますか? 人は自分で意識しなくとも、絶えず自己の生の意味をあらゆる体験の中で自問自答し、確かめようとしているのではないだろうか。無意識のうちに生きがいの充実を求めていくことは、人として至極普通のことである。 しかし、「生きがい」という言葉の意味合いは日本語だけにあると聞く。外国語訳においては、「生きるに値する」「生きる価値または意味のある」という範囲にとどまるものらしい。いかにも割り切った合理的な考え方である。 「生きがい」を求めようとする心の動きに少なからず生涯学習は役立っているのかもしれない。 私はこのオピニオン21への投稿がご縁で、先月、大泉町の生涯学習課に招かれ、婦人セミナーという場所でお話をさせていただく機会を得た。八回にわたって開催されるセミナーは、フラメンコあり、チアダンスあり、絵本の話あり、もう楽しいことばかり。私自身、次回から通わせていただきたいと思うほど充実した内容である。 そのような楽しいセミナーの開講日にあえて、原爆被災者の手記遺稿集「この子たちの夏」の朗読劇上演活動者を参加させるという。私は最初とまどった。 一般主婦が、たった一人から人を集め、朗読の会を設立し、理解あるスタッフの協力もあり、絶えることなく上演活動を続けている―ということが一番の着眼点であったようではあるが…。 しかしながら、特に戦争を語る会でもなく、平和の祭典でもない。普通の日々の延長としての明るく楽しいセミナーの中に招かれたことに、私は大きな意義を感じた。 何でもない日常の中で、ふと立ち止まって考える戦争のこと。それは、ふと立ち止まって考える「自分の生」にもつながることかもしれない。 (上毛新聞 2007年7月4日掲載) |