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社会福祉法人アルカディア理事長 中田 駿(太田市高林寿町)

【略歴】 早稲田大卒。太田市の三枚橋病院(精神科)勤務を経て精神障害者の地域ケアに従事。県精神障害者社会復帰協議会長、NPO法人「糧」理事長。岡山市出身。

働くことの意味

◎自立の在り方は多様

 「まじめで仕事熱心なSさん。仕事でミスが続き、次第にストレスが蓄積し、出勤が苦痛と感じるようになった。それでも踏ん張ったが、うつ状態に陥ってしまった」

 よく聞く話である。最近、手にした厚生労働省のバリアフリー宣言(ポスター)にも次のような標語が載っている。「国民の五人に一人は精神疾患にかかりうるといわれています。精神疾患の正しい理解でみんなが支えあえる社会にしていきたいものです」

 確かに心の病は年を追うごとに増えている。例えばうつ病の生涯罹患(りかん)率(一生のうちでうつ病にかかる率)は世界保健機関(WHO)統計によれば15%といわれている。けして他人ごとではない。このように身近な出来事となっている「心の問題」について労働を軸に考えてみたい。

 日本人の勤勉さは世界でもよく知られている。近代以降、この勤勉さを美徳として経済大国の地位を確立した。敗戦によるダメージも乗り切った。この過程を経て「働くことがすべて」という風潮が国民の間に浸透してきた。一方で働かない者は半人前、いわば「やっかいもの」というイメージが植え付けられてきたのも否めない事実である。

 心の病・障害がある人たちからこんな言葉をよく聞く。「働いていないから社会に認められないのだ」と。このようなことを聞くたびに、働く意味を考えさせられる。

 「働きたい人にはその機会と場を! 例えば一日二〜三時間、あるいは週二〜三日働きたい人には、それが保障される場を、また、働きたくない人には働かない権利を!」障害者にとってさまざまな選択ができる。それを当事者自身が決める。これが大切なことである。

 「働く権利」と「働かない権利」は同等に両立しなければならない。言い換えれば、お互いが生き方を認め合うことである。「支え合う社会」は「お互い認め合う」ことから始まる。

 今、働くことのありさまが多様化する中で社会は、転換点にさしかかっているように思う。最近、話題となっていることにフリーターやニート問題がある。こうした若者は、マイナスイメージで取り上げられている。しかし、彼らは、管理化された労働を拒否し、別の道を歩むという選択をしているといえる。それが彼らの自己主張<生き方や価値観>だと考えれば、むしろ、積極的な意味をもっているのではないだろうか? とにかく、私たちは働きすぎなのだ。

 今、障害者に自立=就労という施策が押し寄せている。確かに「働くこと」は重要な社会参加の一形態ではある。しかし、社会参加のありさまは多種多様であり、働くことだけが社会参加ではないはずだ。多様な自立の在り方があるのだ。ある障害者は言う。「どういう状態になったら、自立したと認めてくれるのか?」と。






(上毛新聞 2007年6月23日掲載)