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◎人生経験で声に深み 本来、流派を問わず箏曲(そうきょく)には歌がつきものだ。しかし、何げなく耳にする箏の曲にはたいてい歌はなく、最近の演奏会の傾向としても器楽重視に偏るところが多い。そのため、お箏ことに歌があるのだということを知らず、ましてや弾き歌いするということに驚く人さえある。 箏曲でも特に山田流は、歌=箏歌(ことうた)を重視し、語り物的要素を含む歌曲が多いのが特色である。流祖の山田検校(一七五七―一八一七年)は歌の名手で、式亭三馬の『浮世風呂』にも出てくるほど、当時の江戸ではかなりの評判だったらしい。しかし、箏を弾きながら歌うということは意外に難しく、生徒さんの中には自分が歌うとなると抵抗を感じる人も多い。指導者としてはここが悩みの種である。 箏歌には大きな特徴はなく、他の邦楽の種目に比べ入りやすい。そのくせのない歌唱法は多くの可能性を秘めた、現代に通用する声楽だと私は思う。箏歌の声域は非常に広い。通常は壱いち越こつ=レ(D)を基音とし、下はオクターブ下のレからオクターブ上のレまで。つまり、2オクターブまたはそれ以上の声域を要する曲もある。そして、歌の旋律は必ずしも伴奏の箏とユニゾンとは限らず、箏より少しズレながら進行する。例えば、一拍を表と裏というふうに二分割して、箏は表の間まに、歌は裏間にというように入っていく。この微妙なズレが言葉を引き立たせ、そこがまた邦楽の特徴ともいえるだろう。 声域の面では私も苦労した。受験のころは下の音が七の糸の音(ソ)までしか出ないため、肝心なところで歌詞が聞こえず息だけという情けない状態だった。それが今では、上はミ(E)まで、下はレよりさらに一音低いドまで出る。つまり声も喉のども時間をかけ修練を積むことで、次第にその音楽にあったように変化していくということだ。だから安心してゆっくりと慣れ親しんでほしいと思う。 古くから日本音楽は声楽を主体とする音楽であった。実際、人の声ほど魅力的な音はない。美声悪声に関係なく、声はその人柄を表し、人生経験は声に深みと説得力を持たせる。そこに年齢を問わない邦楽の良さがあり、大きな魅力といえるだろう。日本人だからこそできる日本語にあった自然な発声で、言葉を箏の音楽にのせてのびのびと歌うことが箏歌の基本と思えば、気持ちが楽になってくる。 この素晴らしい伝統音楽を残すためには、今の時代にあった箏歌の指導法が必要なのかもしれない。箏曲本来の良さを知ってもらうために、より多くの人が箏歌も習ってみたいなと思ってもらえるように、私たち指導者もまた、さらに研さんを積んでいくべきだろう。 来月二十三日、東京オペラシティリサイタルホールで、箏・三絃の弾き歌いによる現代作品のソロリサイタルを開催する。私にとって古典だけでなく現代曲への挑戦は、私自身の課題<箏曲における新たなる領域>を追求するために、そして古典へのさらなる理解を深めるためにも重要不可欠なプロセスなのだ。 (上毛新聞 2007年6月20日掲載) |