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浅間山ミュージアム代表 飯田 宏朗(嬬恋村大笹)

【略歴】 玉川大文学部卒。1987年に東京都町田市から嬬恋村に移住、建築業と宿泊業を営む。05年9月から浅間山ミュージアム代表。ぐんまグリーンツーリズムサポーター。

地域を学ぶことの意味

◎歴史や文化の必然性

 前年度に続き、本年度も嬬恋村郷土史家の唐沢雅夫先生による「嬬恋村の歴史と地域を学ぶ学習会」を月に三回ほど開催しています。先生の講義は、浅間山北麓(ろく)の風土記、火山学、古代史、近代史、民俗学と多岐にわたっており、一回三時間程度の講義でも時間はあっという間に過ぎてゆきます。私はもともと東京で生まれ育ち、嬬恋村に引っ越してきましたので、この地域のことは何一つ知りませんでしたから、なおさら新鮮に感じるのでしょう。しかし、私たち大人が知る機会を得たことはとてもありがたいことだと思っていますが、このような学習をする機会が地域の小中学生にあまりないということはとても残念でなりません。ゆとり教育の名のもとに土曜日休みとなったり、教科内容が削られたりと、カリキュラムを一年間で消化するのに手いっぱいの現状では、授業に地域学習を組み込むのは難しいのかもしれません。しかし、これからの教育は自分の生まれ育った地域の歴史や文化を知り、自分自身のバックボーンを確立することが重要になってくるのではないでしょうか。

 戦後、日本人の価値観はそれまでの価値観を捨てるところから始まったといえます。これは戦前の日本人の価値観を百八十度変化させてしまったともいえます。良くも悪くも消費を中心とした社会となったことで、江戸時代の茅葺(かやぶき)の建物が近代的な建物へ建て替えられたり、遺跡が開発のために壊されたり、本来は親や住民から子供たちへ語り継がれ、受け継がれてきた地域の文化や伝承というものが途絶えてしまったりと、大きく変化してしまいました。歴史や文化は普遍的な価値を持つものであり、負の遺産も含め残さなければなりません。

 路傍の道祖神にはそこにたたずむ意味があり、縄文時代につながる歴史があります。地域の歴史や文化はその一つ一つが必然性の上に成り立っているのです。必然性とはそこにあるべくしてあるもので、偶然に存在するものではないということです。私たちはもう一度振り返って地域の歴史や文化の必然性を読み解き、理解することが必要ではないのでしょうか。また、それらを子供たちに伝えていく義務があるのではないでしょうか。

 戦後六十年を経て、日本は大きく変わる節目の時を迎えようとしています。近ごろ、「美しい日本」、「国を愛する心」、「国歌・国旗への敬意」などという言葉をテレビや新聞で見たり、聞いたりするようになってきています。世界の国々から見れば本来は当たり前の言葉が、当たり前になっていない国、日本がそこにあるのです。決して戦前の国粋主義を称(たた)えているわけではありません。ただ、戦後にねじれた価値観が元に戻ってきているとは考えられないでしょうか。この変化のときに私たちはもう一度ねじれることなく、普遍の価値観を持ち直さなければならないと考えます。そして、これから日本を背負って立つ子供たちに残さなければなりません。






(上毛新聞 2007年6月4日掲載)