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◎「多忙」を好んで楽しむ 人の生き方はさまざまで、日常の会話から多くを学ぶことがある。二十数年間、出版業務や画廊運営に携わってきて、自分の仕事の方法を探し続けてきた。若いころ、単調な仕事に「面白み」を見つけ出し、忍耐強くやり続けることを覚え、新しい仕事を持つ不安と恐怖と安堵(あんど)感を経験した。それが自信にもなってきた。失敗や中傷は人間を鍛え、育てる。以前に読んだ評論家・亀井勝一郎の著作の中に「多忙とは空虚な自己が何事かを為なしたと思い込むために必要な錯覚である」と書いてあった。確かに多忙な日々を過ごしてきたが、振り返ってみると求めて多忙にしていたのかもしれない。多忙の中には新しい発見が多く、「無知」「無学」の自分をさらけ出しても受け入れてくれる時間と大きさがあった。 大きな仕事をしている小説家や画家、陶芸家、書家らの「ものづくり」には、自己に対する想像を絶するほどの厳しさがあり、「無知」「無学」に立ち返る方法を知っていて、何よりも多くの仕事をしている。「欲して多忙を求める」という言葉の中には、いつでも原点に立ち戻れる姿勢があり、恐怖を克服するための努力の過程がある。 私の母の父親は大工だった。私が子供のころ、車輪のついた木箱に入った積み木と引き出しのついた子供用の机を持ってきてくれた。「ものづくり」の職人が好きなのは、そんなことも影響しているのかもしれない。長年の鍛錬から習得していく技術や感覚的な能力は、多くの仕事の経験と努力の過程から生まれるもののようだ。 今、出版や展覧会の仕事で多くの作家に会う。「本作り」は、一軒の家を建てるようなものだと、上司から聞いたことがある。全身全霊をかけて「本作り」をする。その時、自分が自分の本を作るぐらいの心積もりで仕事と向き合わなくてはならない。また、展覧会も同様、作家は自分の子供を産み、育てるような気持ちで作品を作っている。その仕事場を訪ねた時、身の引き締まる思いがする。「仕事場を見ればその作家の姿勢がわかる」と教えてもらってからは、なるべく作家の仕事場の空気を感じるようにしている。その場で作家と話し、作品を見せていただく。至福の時だ。あらゆる分野の人に会い、日々学ぶことは多い。まだまだ自分を磨き、鍛錬していかなくては、と思う。 仕事は「人」があっての仕事。そこには痛みが伴うこともある。生きている実感は、死なない程度の病を自覚しながらうまくつき合っていくことだという。困難と思えることをだめだと諦(あきら)めず、いつでも立ち向かおうとする気持ちを持ち、試行錯誤して自分らしい「仕事」ができるように「多忙」を好んで楽しむことにしたい。そして、年齢を重ねるごとに一病をかかえながらも睡眠と食事、心のバランスのとり方に気をつけるようにしている。 自分の中に甘い幸せな未来を夢見つつ、瞬時を大切にしながら毎日を過ごしたい。 (上毛新聞 2007年5月31日掲載) |