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写真家 田中 弘子(東京都小金井市)

【略歴】 東京生まれ。群馬県の養蚕・蚕糸絹業の写真「繭の輝き」が2006年第15回林忠彦賞を受賞。東京の河川等のドキュメンタリーを追う。日本写真協会会員。

伝統文化

◎先人が残す地域の誇り

 今年も春はる蚕ごの季節を迎えている。明治の中ごろまでの養蚕農家は、年一回、春蚕の飼育しか行わなかった。そのため、特に桑の葉の出始める四月中旬から下旬に降りる遅霜には注意を払っていた。寒い日は、夜明け前から畑に出てたいまつを焚(た)き、暖かい空気を送っていたという。「八十八夜の別れ霜」という言葉があるように、五月二日を過ぎれば遅霜の心配もなくなるが、身を粉にして働き続けた当時の養蚕農家の人々の苦労がうかがえる。

 養蚕農家の減少は、高齢者が支えている現状からみれば避けられないと思うが、単に繭の収穫が少なくなるということだけではなく、地域に密着した風俗、文化、歴史など長年の生活の中から生まれた大切なものまでが、失われていくのではないか。

 昭和四十七年の「豊蚕祈願神社一覧表」によれば、群馬県全域の人々が百十三カ所もの神社、稲荷、寺などへ足を運んでいた。養蚕の豊作を願い、四季折々の農作物に感謝し、家内安全を祈願することは、日々の暮らしに欠かせないものであった。

 豊蚕祈願の一カ所、甘楽町の白倉神社は、「ぐんま百名山」にも選ばれた天狗(てんぐ)山(標高六六七メートル)の山頂付近にある。明治十三年から四月二十八日の例祭日には、太々神楽も加わり、高崎、安中、藤岡など多方面から参拝者が訪れて、大変なにぎわいだったという。

 今年の四月中旬、地元の養蚕農家、黒澤優さんと萩原清さんの案内で天狗山の白倉神社を訪ねた。登りきった神社の入り口で、烏(からす)天狗の石像が出迎えてくれた。絶壁に建つ御堂と立派な神楽殿、右側にはおよそ五メートルはあるだろうか、見事な木剣が奉納されている。お白狐(びゃっこ)さま、天狗、繭玉、お札などはよく見かけるが、木剣は珍しい。

 「子供のころは、毎年、かならず来たものだ。今日は何十年ぶりかな」「ふもとでは五円のアイスキャンデーを十円で売ったけどよく売れたなあ」。童心に帰った二人の会話は、弾んでいた。

 多くの人々に思い出を残した天狗山の神楽は、残念ながら昭和三十二年ごろから山を下り、里宮の社殿に移された。

 春というのに、ひと気のない神社はもの寂しい。かつて「お天狗さまに春がやってきた」と言われたように、もう一度、天狗山で太々神楽を奉納して、当時の春の輝きを取り戻してほしい。わき水で有名な「かなごの水」もある。緑豊かな木々と満開の山桜も待っている。

 山頂での神楽が再開されれば、半世紀ぶりとなる。重い荷物を運ぶなど準備は大変だが、地元住民が力を合わせる良い機会だ。そのときの努力と気持ちの入ったもてなしは、必ず参拝者に伝わるだろう。また、子供たちへの伝承にもつながる。

 地域の格差が進んでいる今、先人が残してくれた伝統文化を「地域の誇り」と受け止めて、失われつつあるものを掘り起こしてみる必要があるのではないだろうか。転機を迎えた地域の再生の足がかりの一つになればと思う。






(上毛新聞 2007年5月29日掲載)