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◎身動きとれない側面も 過度の個人情報保護には不快感を禁じ得ない。クラス会やPTAの学校関係に始まり、官庁、民間企業、親睦(しんぼく)団体などの多くの分野において個人情報保護が神経質と思えるほどに過敏である。学校行事のリレー連絡簿にも各人の住所は載ることはないし、卒業者名簿や同窓会誌、職員録、社員録などで廃刊されたものも数多い。やがて電話帳ですら姿を消していく日がくるに違いない。 災害発生時の緊急招集で、諸官庁はどのようにして多くの職員に呼び出しをかけるのであろうか。それらの際には例外規定として、住所や電話番号が記載された職員録が用意されていると期待したいところであるが、どうもそうではないらしい。職員間においても住所や電話番号などの横の連絡は遮断されているようである。弱者のために奔走している民生委員に対してでさえ、要支援者の名簿の提供を拒んでいるとあっては空恐ろしさを感じないわけにはいかない。それだけでなく巡回訪問にしても、支援要請があった際に出向く程度にとどめ、度重なる訪問は個人情報を侵す恐れがあるとの理由から歓迎しない風潮が支配的である。 今後は独り身老人の孤独死も後追い確認が普通になるかもしれないし、事前支援の急な要望には応じられなくなるかもしれない。個人情報保護は本来、悪人から弱者や市民を守るためのものである。それがいつの間にか歪わい曲きょくされ、過大視され、大手を振って独り歩きをさせてしまった結果、官も民もそれに自縛されて身動きがとれなくなってきている。悪人だけでなく、一般市民や善意の人まで区別することなく要注意人物として想定し、それら全部の者を警戒対象に置いて、個人にかかわる情報を守ろうとしている。 緊急事態や利害関係が発生し、住所不明の当事者に急変を伝えたく、その者の住所を役所に尋ねてもめったには教えてくれない。その結果、その者が後日どのような不幸に遭遇しようとも、担当者にとっては関知したことではない。彼はいささかの落ち度もなく、個人情報保護の職責を全うし、周囲からもとがめられるようなことはない。悲しい現実が横行している。 相手と状況を斟酌(しんしゃく)して臨機応変に対応できる者も存在しようが数は限られていよう。法令や通達に対して、ひたすら従順に、硬直的に遂行するのが行政の常である。それに背き、情理にほだされて情報提供する者には批判が集中しよう。しかしながら勇気ある者は怯ひるんではならない、恥じらうこともない。市民の安寧を願い、正義を貫くのだから胸を張って自分自身を誇ろう。 個人情報保護の現状は運用面において、本質から逸脱しているように思えてならない。弱者や市民へのいたわりに欠け、もしかしたら悪人のための個人情報保護として働き、隠れ蓑(みの)にされているような気もしてならない。 (上毛新聞 2007年5月22日掲載) |