視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
|
|
◎あせらず自分の力量で 一九四三年生まれの中高年登山者である私の人生は地元山岳会に入会したことで始まりました。 先輩、後輩のすばらしい仲間との出会いがあり、山のイロハを教わりました。このような時代があったことを幸せに思っております。現代の登山ブームは、自然とふれあう機会が減りつつある時代を反映しているといえます。自然回帰への思い、自然を舞台にした健康志向への表れなのでしょうか。 すべての山行は「用意周到」で無事が鉄則です。わが国にはたくさんの山があります。その一つ一つに特性があり「山歩き」の歴史があります、北から南の屋久島まで「コンサイス日本山名事典」(三省堂)に収録されている山、峠名はなんと一万三千もあります。そしてそれぞれに歴史があります。山岳信仰とともに盛んになり、山登りがいわゆる「登山」として本格化してきたのは明治以後からです。中部山岳地帯に「日本アルプス」という呼称がつけられ、近代的な登山が始まったともいわれています。 南北に長い日本の山脈は四季が明瞭(めいりょう)な国だけに、その四季の美しさも手伝い不思議な魔力、魅力でいっぱいです。 厳しい摂理に耐えてかれんな姿を見せる高山植物は登山者の気持ちを和ませてくれます。また動物や大自然との新鮮な出合いもあります。 本州中部を標準に山の植物を垂直分布で見ると、標高二千五百メートル以上を高山帯、二千五百メートルから千五百メートルまでを亜高山帯、千五百メートル以下を低山帯として分類しています。 このように山は標高などによって、動植物個々の生活域も異なり、私たちが山に入るということはその生活の場を脅かしているといえます。自然とその営みに対し、謙虚な姿勢で接することも大切なことです。 山には奧の深い芸術的側面もあります。それは山岳がもつ力強さ、荒々しさ、優しさ、静けさ、荘厳さ、そして美しさです。それらが芸術的感性を限りなく刺激してくれます。 深田久弥著の「日本百名山」がブームです。すべて登るのも意義あることに違いありませんが、ただ気になるのはあまりに安易にとびつく傾向があることです。百名山だけを目的とした登頂には疑問を感じます。 私たちは山とは別の生活を持っており、時間をさくため、アプローチに車を使うことはひとつの妥協であります。しかし、楽に登れるというだけの理由で車を使うとしたなら、登山とは一体なんなのでしょう。 最短コースにばかり人が集まるのはなんとかならないものでしょうか。必ずしも登頂を目指すだけでなく四季折々の自然に触れる登山であってもよいと思います。どう登ろうと自由ですが、登山の文化、歴史を後世に残し、山登りの本義だけは忘れてほしくないものです。深田久弥の山に寄せる深い思慕、あこがれの中から生まれた「日本百名山」を理解し、時間をかけあせらずに自分の力量で山行を楽しみたいものです。 (上毛新聞 2007年5月21日掲載) |