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こでまりの会会長 飯島 久江(伊勢崎市国定町)

【略歴】 太田市生まれ。10年間、幼稚園教諭を務める。1999年、原爆被爆者の手記などで構成した朗読劇「この子たちの夏」を公演する「こでまりの会」を設立。

原爆文学を読んで

◎生と死を自分のものに

 みなさんは「原爆文学」という文学領域をご存じだろうか。詩歌・小説・川柳・短歌・エッセーなどさまざまな文章形態の表現を借りる中で、核戦争の危機を訴える文学者の声明をその企画の軸としている文学分野である。

 全十六巻からなるその全集は、読むには苦しいものではあるが、心に留め置くべき意義を感じ、私は個人的に購入し読み続けている。さらに、地元伊勢崎市立あずま図書館にも、図書館設立後間もないころにリクエストし、購入していただいた。しかし実生活にはあまりかかわりない内容のためか、貸し出しはごく少ないようである。この手の書籍は、全国の図書館や学校図書館等への配置が終了すると廃版になる恐れがあるそうなので、ぜひ一度は手にとっていただきたいものである。

 この全集を読み続ける中で私の心は、ある文章にくぎ付けになってしまった。

 それは、大江健三郎著「ヒロシマノート」の中の一文である。

 「広島の人間は、死に直面するまで沈黙したがるのです。自分の生と死を自分のものにしたい。原水爆反対とか、そういった政治闘争のための参考資料に、自分の悲惨をさらしたくない感情、被爆者であるために、すべてが物乞いをしているとは見られたくない感情があります」

 そしてさらに、

 「もちろん救援資金を得るために被爆者の悲惨を訴える事は原水爆禁止の訴えよりも、もっと切実であり、もっともっとしなければならないでしょうが…」と続く文章である。

 私どものこでまりの会は、広島・長崎で被爆された方々の実際の手記遺稿集から構成された朗読劇「この子たちの夏」の上演をこの八年余り続けさせていただいているのであるが、私自身の中に常に、実体験もない自分が読ませていただいて良いのだろうか、という不安と怖おそれの感情は絶えることなく繰り返しわいてくる。

 自分の生と死を自分のものにしたいと願う人々の代読などだれをもってしてもできることではないのである。

 上演終了後、年配の婦人から「だって、あなたたちは戦争も知りゃしないでしょうに!」とご意見をいただいたこともある。

 私どもの上演活動は、原水禁を叫ぶものでもなければ、ましてや政治闘争などという大きな渦には間違っても入れるようなものではないが、自分の声をもってして人の耳に届ける責任は私たちなりに十分感じている。

 原水禁という大きな視野に立った活動は途絶えさせてはいけない大切な活動である。また、憲法改正論議も大いにされるべきである。しかし、それらを叫ぶ前に、「自分の生と死を自分のものにしたい!」と願い続ける命があったこと、そして今もあることを知ることも忘れてはいけない。

 また今年も、こでまりの会は七月二十九日の上演に向けて三月より「この子たちの夏」の朗読練習に励んでいる。






(上毛新聞 2007年5月14日掲載)