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太田市教委学校指導課主事 根岸 親(埼玉県深谷市上柴町)

【略歴】 福島市生まれ。大阪大大学院人間科学研究科修了。太田市教委の外国人児童生徒教育コーディネーター。ボランティア研修でブラジルに1年間留学した。

ブラジル移住100周年

◎新たな懸け橋に期待

 来年二○○八年は日本人が一九○八年にブラジルに初めて移住してから百周年の年にあたる。九十九年となる今、ブラジルの日系人は推定百三十〜百五十万人、五世代目の子どもも誕生している。現在そのうちの約三十万人は祖国日本に暮らしている。一九九○年の入管難民法改正以後、日本での就労に制限のない在留資格を得た日系人は急増した。「デカセギ」といわれた日系人の滞在は長期化し、定住化の傾向にある。日本とブラジルという地球の正反対、最も遠い位置にある両国が一世紀も前から現在に至るまで連綿たる人のつながりで結ばれている。

 ブラジルに渡った方たちは日本語、日本文化を継承することに努め、今でもブラジル各地には日系人たちが造り守ってきた日本語学校が数多くある。また、ブラジル社会においても農業分野を中心に日系人たちは大いに力を発揮し、その勤勉さは「ジャポネス ガランチード」(日系人は信頼できる)という言葉があるほどに認められている。数々の苦労の中で努力を重ねたことで、ブラジル社会で日本、日系人が高い評価を得るに至っているのだ。

 そういった日系人の方たちを懸け橋に日本とブラジルには歴史の長いつながりがある。しかし、日本でのブラジルについてのイメージは「サッカー、サンバ、アマゾン」といった表面的な決まりきったものになりがちなのは残念でならない。

 日本人のブラジル移住の苦労や日系人の歴史については、石川達三の『蒼氓(そうぼう)』(第一回芥川賞受賞作)や北杜夫の『輝ける碧(あお)き空の下で』(日本文学大賞受賞作)といった著名な作品もある。既にご存じの方も多いとは思うが、ブラジルでの日本人、日系人の苦労と努力、そして両国が人のつながりで長く結ばれてきたことをより多くの方々に知っていただきたいと思う。

 一方で年月と世代を経て、ブラジルの日系社会では日本語、日本文化の伝承が徐々に難しくなってきている。世代が進むにつれ親の世代から受け継がれる「日本」の文化より、生まれ育った「ブラジル」社会に融合していくのは自然な流れなのであろう。九〇年代以降、南米から日本に来た日系人も、「日系」とはいうものの日本語、日本の文化、習慣に通じている人の方が少なくなった。

 だが、世代の移り変わりとともに遠くなっていた日系人の日本文化や日本語への距離が、来日し日本社会で生活する中で距離を再び縮める機会を得ている。入管難民法改正以後の日系人の来日、定住化は百年を経ようとしている日本とブラジルのつながりを再び新しく、活発なものとしていく大きなチャンスでもあると思う。

 現在日本に暮らしている日系ブラジル人の方々、特に子どもたちには新たな日本とブラジルの懸け橋になってくれるのではないかと期待している。歴史ある人のつながりを大事に、このチャンスを生かせるように相互理解へ向けて支援していきたい。






(上毛新聞 2007年4月22日掲載)