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◎初心忘るべからず 芽吹きの季節。どこかぎこちなく初々しい空気に満たされている。新しい学校や職場での生活が始まったばかりで、落ち着かない日々を過ごしている人も多いことだろう。そんな人たちが最初に学ぶことは何だろうか。 私が東京芸大の建築科に入学したのは、もう二十二年も前のことになる。そこで最初に取り組んだ実技課題は、大学四年間で最も印象の強かったものだと思う。芸術系の大学では、学科と実技課題によって単位を取得する。建築科において実技といえば建築設計であるが、あくまで設計のみ。図面と模型を提出して講評を受ける。当然のことながら、実際に建設することはできない。他の美術学部の学生たちが、実際に作品を作りながら技術を学ぶことに比べると、私たちの課題制作は机上の空論に思えた。しかし、最初の課題だけは、自らの手で作品を制作するものだった。それは「木の椅子(いす)を作る」課題だ。 椅子は座るためのもの。人の体を支える機能を持った立派な構造物である。腰を下ろし、背もたれに体を預け、座面やひじ掛けに体重を掛けて立ち上がる。また、食事や読書、くつろぎなど、用途に応じても、椅子が支える人の動作はさまざまに変化する。用途に適した安全で美しい構造物を作るということは、建築にも共通する。それ故か、後世に残る秀れた椅子を設計した著名な建築家も多い。いわば、最も人の体に密接な建築物が椅子といえる。 そして、木で作る意義も大きい。木は粘り強さとしなやかさを兼ね備えた優れた素材である。楊枝(ようじ)から塔の心柱(しんばしら)まで、その優れた機能を余すことなく発揮している。特に日本では木造建築の歴史は長く、親しみが深い。しかし、作り手が木の特性を理解していなければ、有効な木の扱い方はできない。建築科の学生として学ぶべき大切な要素が、木の椅子を作るということに凝縮されていた。 製図室を出て、木場の材木店で木材を選びながら、わくわくしていたことを思い出す。斑(ふ)入りの木目が気に入り、ナラ材を選んだ。大学の木工室で、カンナやノミの刃の研ぎ方から指導を受け、電動工具の扱いも一から学び、慣れぬ手つきで制作した。気を抜けば、文字通り手痛いしっぺ返しを受けかねない作業なので、冷や汗をかいたことも少なくない。失敗したことばかり思い出す。 座面の広い、背もたれとひじ掛けの付いた大ぶりの椅子ができた。頑丈だが形にやわらかみがなく、武骨な椅子だ。しかも堅木のナラ材を使っているため、重くて容易に移動できず、幸か不幸か、今でも実家の部屋の片隅にドッカリと居座っている。仕上げの塗装下地に手を抜いたのが一目瞭然(りょうぜん)のシミだらけのその椅子は、当時のぎこちなく初々しかった自分自身である。初心忘るべからず。いくら年齢を重ねても、あい変わらずだねと、過去の自分に指摘されている気がした。 (上毛新聞 2007年4月20日掲載) |