視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
駒沢大非常勤講師 若林 宏宗(太田市東長岡町)

【略歴】 駒沢大大学院修士課程修了。高校教諭、県教委勤務を経て桐生高校長で退職。太田情報商科・太田自動車整備の両専門学校長。著書に「南極大陸まで」など。

富士山頂自転車登山

◎冒険を通して勇気得る

 卒業論文の作成に没頭していた大学四年時、今まで走るのが日課であったのに、座り続けで何とも体が鈍った。そこで、短時日で、学生時代にしかできない思い出になることとして、日本一周と同じ重装備(二十八キロ)での富士山頂自転車登山を決行することにした。

 富士山には登ったこともなく、何をどうするかは手探りで準備した。ぞうきんを五枚重ねて肩当てを作り、多摩川堤へ行って自転車を担ぐ訓練をしたりした。そして、荷物などをすべて整えていつでも出発できるようにし、深夜の富士山気象予報を毎日聞いて時機を待った。富士山は風速など気象状態が重要なので、二〜三日間良いことがわかったら出かけることにした。

 卒論の作業をしながら待つこと五日目、七月末日の午前零時すぎに良い気象予報が出た。それっとばかり…すぐ寝て、五時に起床し、六時に世田谷の下宿を出発した。八王子、小仏峠、大月と走り、富士吉田市へ至った。

 浅間神社をお参りし、スバルラインの入り口へ。料金所員は「自転車の人は五合目の往復だ」と言うから「頂上を経由の御殿場口下山なので片道切符を」と言ったら「自転車で! その荷物で! 信じられない!」と驚いていた。二合目まで走り登ったところで日が暮れてしまった。仕方なく道路下の土管で、コウモリを追い払い、寝袋で寝た。翌日は早起きして五合目に行き、夜・朝食の二食分を取った。

 五合目からは辛(つら)い自転車担ぎが始まった。胸突き八丁で突風にあおられて千尋の谷へ落ちそうになったりしたが、どうにか頂上に達することができた。しかし到達時は、疲労と酸素不足の高山病気味で意識がもうろうとしていた。翌日は御来光を拝み、噴火口一周路を時々漕こいだりして三七七〇メートルの自転車走行を楽しんだ。また、噴火口底、富士山測候所、頂上郵便局、同浅間神社などを訪れた。

 下りは測候所の許可を得て、ブルドーザーの荷揚げ用ジグザグ路を一人で下った。しかし、あまりにも急なので、自転車を抱えて地面に押さえ付け、ずり落ちながらの下山であった。約半年後に当時の人気番組、NHKの「私の秘密」でこのことが紹介され、以後時々、富士山頂自転車登山をする人が出るようになった。でも、重装備の人はまずいないようだ。

 前回「視点」(一月十六日付)の日本一周自転車の旅では、若い時の感動が人生の糧になったと書いたが、今回の富士山頂自転車登山では「大きな勇気を得た」といえる。冒険家からすれば大した冒険ではないかもしれないが、私にとっては「未知の世界に踏み込む冒険」で本当の勇気が必要だった。

 日本一周自転車の旅が「粘り」なら、こちらはエイッという「思いっきりの決断と勇気」だった。そして富士山頂自転車登山から得た勇気は、その後、生徒や家族を守る勇気、あるいは、逆境の時でも信念を曲げずにがんばる勇気、また、納得できない上司や強い者にも対峙(たいじ)できる勇気などに発展したと思える。






(上毛新聞 2007年3月28日掲載)