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◎復活させたい絹の輝き 写真展『繭の輝き』の取材のきっかけになった桐生市は、銀行員だった父が単身赴任していたまちで、夏休みに何度か遊びに行った第二の故郷でもある。点のようなかすかな記憶を頼りに一九九八年、五十数年ぶりに訪れた。 路地裏で耳にした機織りの音にひかれて取材をお願いすると「寒いから中に入ってお茶でも飲んでいきなさいよ」と工場の中から気さくに声をかけてくれた米澤はつえさん。この一声が、七年間も群馬各地に通う原動力となり、さらに林忠彦賞へとつながる一歩となった。 真っ先に受賞の報告をすると、「普通の人に『整経(せいけい)』の専門用語が分かるかね」と職人らしい心配をしながら「うれしいね。鳥肌が立つほどうれしいね」と受話器の向こうから長男の茂さんの弾んだ声が返ってきた。 桐生市有鄰館で『繭の輝き』の写真展を開催したとき、ジーンズ姿の若い女性に出会った。着物の話から「母が残したお召しの着物があり、もったいないので、三百六十五日、着物を着ることに決めたんです。ちょっと着替えてくるから」と言って会場を後にし、しばらくして戻ってきた。落ち着いた橙(だいだい)色の無地のお召しの着物がとてもよく似合っていた。 東京での受賞記念写真展の会場にも、日本舞踊の師匠をしている私の姉が、古いお召しを着て、お祝いに駆けつけてくれた。布地の色は生成りで、大柄の金糸で織り込まれた笹の葉と、明るい紫の藤の花柄が華やかで美しい。六三年ごろ、父が前橋支店勤務のときに買ったもので、当時、お召しの展示会で受賞した記念の着物。今では市場から姿を消して、手に入れることはできないが、「桐生お召し」を普段着や特別の日の晴れ着として愛用している人はいる。 お召しの全盛期には、東京・上野の美術館で年二回、図案柄の全国大会が開催され、五千点余り集まった中から、桐生賞など各産地別に賞が設けられて競い合ったといわれている。その後、桐生の織物産業にかつての面影はなくなってしまったが、およそ千三百年前から続いている織都桐生の歴史の重みは簡単には消えないし、消さないでほしい。 多岐にわたる高度な技術を持つ職人たちのひたむきな生糸への情熱は、美しい絹の輝きとなって私たちの心の中に息づいている。上質な群馬県産の繭を使って糸を紡ぎ、職人の技を生かして、桐生独自のお召しの輝きをもう一度復活させてほしい。現在、すでに一部のグループがその活動を始めたとの話もあり、成果を期待したいと思う。 復活の手だてに例えば、「あなたの着物を作ります」という作り手の顔の見えるキャッチコピーはどうだろうか。図案や染色などお客さまの要求に応えた憧(あこが)れの逸品「桐生お召し」、近い将来、再び手にする日が来ることを楽しみにしている。 この原稿を書いている最中、うれしい知らせが届いた。甘楽富岡蚕桑研究会が行ってきた養蚕文化の継承が「第六回むらの伝統文化顕彰」で農林水産大臣賞を受賞した。代表の高橋純一さんには、『繭の輝き』の取材で大変お世話になった。今後の養蚕農家の発展につながってほしいと思う。 (上毛新聞 2007年3月23日掲載) |