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「えほんのへや」主宰 三澤 章子(桐生市菱町)

【略歴】 群馬大教育学部卒。渡良瀬養護学校などに勤務。オーストリアのカール・オルフ研究所に留学後、フリーの音遊び講師として活動。昨年6月から「えほんのへや」主宰。

音楽教育

◎楽器が弾けなくても…

 オーストリアのカール・オルフ研究所で音大卒でない私が失敗を重ねながら「わらべ歌」に出合った話を前回(昨年十二月二十八日付)書いた。

 カール・オルフ(一八九五年―一九八二年)は、ドイツの作曲家であり子供のための音楽教育をつくり上げた人である。同時代にシュタイナーやリトミックのダルクローズ、コダーイがいる。

 私たちは学校の授業で、言葉は国語、ダンスは体育、音楽は音楽の時間に学ぶ。例外もあるだろうが、国語の時間にダンスをしたり、体育の時間に詩をよんだりは、あまりしない。でも「音楽(音)とダンス(動き)、言葉は、切り離せない」と考えたのがカール・オルフなのだ。

 楽器が上手に弾けたり、歌がうまく歌えたりできなくても楽しめる音楽を求めていた私は、カール・オルフの考える音楽にそのヒントがあるのではと思った。夏におこなわれた短期の講座に出てその思いが強くなり、一年間の留学を決心した。

 そして一年間を終えて、確実に芽生えたこと、それは、カール・オルフの考えた音楽「音、動き、言葉」には、豊かな可能性があるということだった。

 卒業試験のひとつに自分で作曲、振り付けをしてパフォーマンスを作るというのがあった。同じコースの同級生にも参加してもらってひとつの作品を仕上げるのだ。

 私が選んだのは「万葉集」の中の恋の歌。

 「あしひきの 山のしづくに 妹待つとわれ立ちぬれぬ 山のしづくに」

 「吾を待つと 君がぬれけむ あしひきの山のしづくに ならましものを」

 美しい言葉の響きとそして五七五七七のリズム。それは、私の耳に音楽として感じられた。一年間のカール・オルフ研究所での経験は、言葉を音楽としてとらえる眼(め)を私に与えた。

 音大卒の同級生が自分で作曲した音楽を中心に置きダンスを振り付けていく中、私一人が言葉からパフォーマンスを創造していった。

 静かな情景と内にある情熱を水の音、身体をたたく音、簡単な打楽器、そして声で表現し踊った。

 「日本語がわからなくても、ちゃんと情景や恋心が伝わってきた。あなたのパフォーマンスには、本質があった」と指導教官のバーバラに言われたとき、今までの失敗や劣等感がどこかに消えた。

 カール・オルフが、目指したことのひとつに「だれもが簡単に演奏できる音楽教育」がある。私の作品は、声とたたく動作だけでできている。カール・オルフの目指した音楽でもあったのだ。音大卒でない私は、必死で自分の持てる力を総動員して作品を作った。それが結果として私が留学する時求めた、だれもが表現できる音楽を学ぶことにもなったのだ。






(上毛新聞 2007年2月26日掲載)