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◎社会全体で対応考えて 新聞やテレビで子供たちのいじめや自殺、少年を巻き込んだ事件が頻繁に報道されている。 痛ましい限りで、こうした問題は何とかならないものか、早くどうにかしてほしい、と大勢の人々が願っていることだろう。 それにもかかわらず、問題や事件が後を絶たない。もちろん、さまざまな背景が絡み合ってのことだろうとは思うが…。 いじめの問題は、今に始まったことではない。少年の問題だけではなく、大人の社会でも、人間以外の動物の中でも、必ずといっていいくらいに起きている。 私は、いじめについてのニュースが流れるたびに思うのだが、私たちが子供のころにも身近かなところで、ときどき起きていたように思う。ただ、現在と違うところは、良いか悪いかは別として、その対応の仕方だったような気がする。 家庭も学校も、世の中の人々も、あまり神経質ではなかった。いや、神経質にならなかった。そして、あまり世間の話題にもならないで消えていってしまった。 私も一度だけ、いじめに遭ったことがある。今、この年齢になっても覚えているということは、そのとき、かなりこたえたのだろうと思う。 小学四年生だった。教室の片隅で二、三人の同級生にからかわれた。そのうちに、ちょっかいを出すやつがいて、私は涙をこぼしながら耐えていた。ところが、その涙がからかいの種にされる。からかっている側は面白半分で、いじめているとは思っていないのだろうが、からかわれている側はいじめを受けている、深刻にいじめられている、と感じていたのだ。 このことは、先生にも両親にも話せなかった。 「意気地なし!」と言われそうで、それが悔しかった。 ある日、いじめられている最中、一番意地悪をするやつに取っ組み合いのけんかを挑んだ。勝敗は別として、どちらからともなく手を引いたが、その日を境にいじめはなくなった。 子供たちの間には、何がしかのルールのようなものがあったように思う。 私の家では、自家用の卵を得るためにニワトリを飼っていて、餌やりは子供の私の日課だった。私がニワトリ小屋に近づくと、ニワトリはのどを鳴らしながら一斉に集まってくる。ところが、一羽だけ寄ってこないので、母親に話すと「それはいじめだね」と言って、翌日、その一羽を小屋の外に出してやった。外に出たニワトリは何事もなかったように元気に同じ餌箱の餌を小屋の外からついばんでいた。 この一羽のニワトリのためにとった母の対応には、今さらながら感心させられる。 いじめの問題は古くて新しい、永遠の課題なのかもしれない。それだけに、家庭でも学校でも、そしてあらゆる機関を含めた社会が一体となって、適切な対応を考えるべきときだと思う。 (上毛新聞 2007年2月11日掲載) |