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◎想像力が心の豊かさに 「語り継ぐものを見つけて継承していきたい」「できるかな? でも、それが最低限の責任かもしれない」。最近、高校の同級生とこのようなやりとりをした。 私たちは、昭和二十二年生まれのいわゆる団塊の世代である。それぞれが、これからの人生後期の生き方を模索している。私はその第一義的課題として「われらがたどってきた道」を整理したいと思っている。 ひとつの時代(戦後、手に入れた「豊かさ」の時代)は終わりを告げた。しかし、「新たな時代」の始まりを告げる鐘が鳴り響かない。「失われた十年」を経て、次第に「断絶と閉塞(へいそく)」が支配的になってきた。残念ながら、この傾向は親子、友人、職場、学校などいたるところに、つまり社会全体にひずみをもたらしている。 われらの世代は、昭和三十年代後半から始まった高度成長経済を中軸で支えてきた。ところが、「お父さんたちは、現在ある豊かさを手にするため、必死に苦労してきた」と語っても、この表現は力を持たない。繁栄やぜいたくは、それを獲得した瞬間から日常化し、当たり前のこととして色あせていくものである。 『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画では、昭和三十年代前半の「決して豊かではないが、温(ぬく)もりある人たちの世界」がほのかに描写されている。共感した人たちは少なくないであろう。地域の共同体が脈々と存在していた時代である。この状況は繁栄の過程で失われてしまった。そして、このように失われたものがあったことを、語り継ぐことが重要であろう。あえて言うなら、われらの世代は共同体の崩壊過程を感知しつつ、それに加担してきたのである。 経済大国たることを最優先してきた過程は、地域共同体を崩壊させ、「心の貧しさ」をもたらした。心の貧しさとは、他者を想像する力の欠如である。この想像力は他者の「弱さ」を受け止め、共同性の中で解決していく体験から身についていく。人間がもつ「弱さ」は自然に表現できるはずなのだが、それが「しづらい」社会になってしまった。 子供たちですら、自分の弱さを悟られまいというプレッシャーと闘っている。大人たちは信じがたいこの現実を引き受けることは不可能だとあきらめ、直視することを避けている。これこそが「断絶と閉塞」状況なのであろう。確かに難題であるが、難しく考えない方がいい。こう考えたらどうか? 「個々人は弱い。自分の弱さを表現することから始めよう」と。 私たちが生きるこの社会で大切なのは、他人の心を想像する力である。想像力が心の豊かさにつながっていく。三十年代に戻ることはできないが、失われたものを再構築することは可能である。このような視点で<語り継ぐもの>とは何かを世代を超えてともに語り合っていきたい。次世代の社会のために。 (上毛新聞 2007年1月21日掲載) |